十種神宝 中学国語の基礎・基本

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「幻の魚は生きていた」4……筆者の主張に簡単に賛成するのは危険

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第4~5時 「幻の魚は生きていた」で何を考えるか

14段落以降は、結論にあたる筆者の意見です。

筆者は14段落で
  • この西湖でクニマスがこれからも生き続けるためには、どうすればよいのだろう
と問いかけ、次の15段落で
  • 一つには、産卵場所も含めた湖全体の環境を守ることが必要だ。~かつての田沢湖でのように、人と生き物とがつながり合った関係を維持すること、それがクニマス保全にもつながるのだ。

とし、クニマスの「里帰り」に触れた上で、16段落では

  • クニマスの里帰りは容易ではない~現実を踏まえ、少しずつ歩いていかなければならない

と結んでいます。

これらはすぐに読み取ることができると思います。

「いかにも、その通り」という内容です。
しかしだからといって、簡単に「賛成」してしまっていいのでしょうか。

「西湖でクニマスがこれからも生き続けるために」は解決済み

 

筆者は
  • 産卵場所も含めた湖全体の環境を守ること
  • クニマスだけを過度に保護するのではなく、ヒメマスなどの他の生き物と、それらの生き物から生活のかてを得ている私たち人間とが、バランスを保って共存していくこと
が大切であると述べています。

 

これはその通りです。
しかもこれは西湖に限って言えば実現されていることです。

 

西湖は富士五湖の一つで、「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」の「富士山域」の一部として世界文化遺産の構成要素に含まれています。
ですから「人と生き物とがつながり合った関係を維持すること」は、日本が世界文化遺産を辞退しない限り可能でしょう。

3-15

「西湖で」という条件がつけられれば、
「絶対に実現可能である」という見通しを簡単に持つことができます。

しかし、だからと言って、西湖以外の場所ではうまく行かないのが現実なのです。

例えば、有明海に面した諫早湾の干拓とか、沖縄辺野古埋め立てなど、
日本全国、簡単に解決できないところが山ほどあります。
むしろ、西湖の場合は非常に恵まれた、例外的なものだと思います。

 

「自然保護は大切」というのは簡単です。
しかし、いくら「大切だ」とわかっていても、うまくいかないのが現実なのです。

現実は、自然や文化だけでなく、政治や経済、歴史の問題が複雑に絡み合っているのです。
そのことを忘れてはいけません。

私は自然保護に反対するわけではありませんが、
みなさんには、筆者の言うことをそのまま受け入れるのではなく、
それを一つの知識として、自分の頭でしっかり考える姿勢を持ってほしいと思います。

西湖にとってクニマス外来種

 

もう一つの問題点は、
西湖にとってクニマスは、もともといない魚でした。

テキストにあるように、人為的に西湖に持ち込まれた外来種に過ぎないということです。

外来種といえば、ブラックバスブルーギルが有名ですね。
ブラックバス
  • 口に入る大きさの在来の小魚、昆虫、エビなどを食べてしまう。
  • 稚魚は、在来魚が食べるミジンコなどのプランクトンを食べるため、餌の奪い合いになってしまう。
  • 漁師の漁獲対象の魚(ワカサギなど)を食べてしまう。
  • ブラックバスのひれには、鋭いとげがあり、刺さると危ない。
などの問題点があります。

だからブラックバスブルーギルがいる場所では、
小型の魚は食べられてしまい、大きなコイやフナしか生き残ることができません。

しかし、外来種のすべてがいけないというわけではありません。
地域の自然環境などに大きな影響を与える場合が問題なのです。

クニマスは本当に西湖の在来種に影響を与えたのでしょうか、与えなかったのでしょうか。
決して在来種には影響を与えないという確証を得てから持ち込んだのでしょうか。

クニマスは絶滅したと思われていたから外来種であっても良い」というのは人間の勝手な理屈です。
クニマス外来種であっても外国産のものではないので良い」と言えるでしょうか。

突き詰めると、人為的に他の地域に生物を持ち込むことの善し悪しが問われてしまいます。

 

クニマスの里帰りは容易ではない」はあたりまえ

テキストには「田沢湖の水はまだ酸性であり、クニマスのすめる環境ではない」とあります。
そして「元にもどすには、気の遠くなるような時間と労力が必要」であり
「現実を踏まえ、少しずつ歩いていかなければならない」と書かれています。

 

「西湖でクニマスがこれからも生き続けるために」と同じように、「クニマスの里帰りは容易ではない」のは疑問の余地がないことです。

筆者の「現実をふまえ」とは、どういうことを言っているのでしょうか。

田沢湖の現実とは何でしょう。
テキストに以下のように書いてあります。
  • 一九三四年、東北地方を大凶作が襲うと、食糧の増産が人々にとって切実な課題となった。そこで、玉川の水を田沢湖に引き入れて酸性を弱め、それを農業用水として使うこと、また、電力の供給を増やすため、湖の水を水力発電に利用することが計画された。
玉川は上流に強酸性の玉川温泉があり、そのため、昔から魚が住めない「玉川毒水」と呼ばれていました。そのため農業用水はもちろん生活用水にも適さず、橋などにも被害を与え、水量は豊富でしたが流域の開発が遅れていました。昔から様々な除毒対策が繰り返されてきましたが、平成元年10月に完成した玉川中和処理施設の完成によって約150年間に及ぶ毒水排除の夢が実現しました。(玉川温泉参照)
玉川温泉
玉川温泉は、今でも毎分9,000リットルの湧出量を誇る、強酸性の温泉です。

小さなコップに、水が入っているとします。
そのコップに塩水を入れ続けていたら、コップの水はどうなるでしょう。

最初、塩水は薄まりますが、真水を入れずに塩水だけを入れ続けたら、
コップの水は、いつのまにか塩水になってしまいます。

小さな子どもでもわかる理屈ですね。

同じように、地下から無限に、大量に湧き出てくる強酸性の水(お湯)を、
小さな田沢湖に流し込んだとして、

酸性を本当に薄めることができるでしょうか。

数年は薄めることができたとしても、
これからもずっと薄め続けることができるでしょうか。

そんなこと、できるはずはありません。

玉川の酸性水を湖に入れれば、魚は死ぬと漁師たちは分かっていました。
そして農民たちも、玉川毒水を入れた水は農業には使えなくなるとわかっていました。
(実際、田沢湖から引いた農業用水は、数年で使えなくなったそうです。)

「玉川の水を田沢湖に引き入れて酸性を弱め、それを農業用水として使う」のは、
常識から考えて到底無理なことだったのです。
「玉川の水を田沢湖に引き入れ」ることの本当の目的は
田沢湖ダム湖とし「電力の供給を増やす」ことだったのではないかと思います。

 

1940年に運用が開始され生保内発電所は、田沢湖ダム湖とした水力発電所です。
現在、最大出力31,500kWで、秋田県内最大の出力を誇っています。

obonai生保内発電所

東北地方を大凶作が襲ったという1934年といえば昭和9年。戦争の足音が聞こえてきた時代です。
そして1940年といえば、太平洋戦争が始まる前の年です。

ボーキサイトから航空機の材料となるジュラルミンを作るためには、電力がたくさん必要でした。
この電力を確保するための一つとして、田沢湖ダムが造られたのではないかと思います。
(本当かどうかは、わかりませんよ。)

「食糧増産と経済発展が最優先された時代です。反対の声はかき消されたのでしょう。(「クニマスの地元・田沢湖、深い喜び 70年ぶり再発見」朝日新聞 2010.12.15)

 

結局、1940年(昭和15)に玉川の水は田沢湖に引き入れられました。
田沢湖がどんなに大きな湖であったとしても、無限に流れ込む玉川の酸性の水を薄めることなどできるはずがありません。
案の定、農業用水としては数年で使いものにならなくなりました。

 

こうなることは、当時の田沢湖周辺の人々も十分わかっていたと思います。
しかし、国を挙げて戦争につき進む中、国策に反対することはできなかったというのが実情だったのではないかと思います。

 

平和な時代に生きているわたしたちは、簡単に「反対の声をあげればいい」と言うかも知れません。
しかし、昭和9年という時代に、漁業権を主張して田沢湖ダム湖とするのに反対する運動を、果たしてできたでしょうか。
もし私たちが当時そこに暮らしていたとして、反対の声をあげることができたと自信を持って言えるでしょうか。


当時の人のことを考えると、「自然を壊さないように気をつければよかった」と簡単に言うことはできないと思います。

では現在、田沢湖に対して私たちはどうすればよいのでしょうか。

水力発電が見直され、電力不足が話題となる現在、田沢湖流入する水を止め、田沢湖発電所と生保内発電所の運用を停止させることができるでしょうか。

現在玉川中和処理施設が稼働していますが、クニマスが棲める状態にまでphを回復させることはできないようです。
これ以上の効果を出すためには更に強力な施設が必要です。
そのためには膨大な資金が必要であり、それに見合うだけの効果がなくては予算はつかないでしょう。

ましてや現在は、東北大震災や台風災害の復興や、未曾有のコロナ禍で、
ただでさえ予算が足りない時代です。

そして使われるのは私たちの税金です。
果たして田沢湖の回復のために予算をつぎ込むのことはできるでしょうか。

そして現在、田沢湖には現在の湖に適合した生物たちがすんでいます。
もし田沢湖昭和9年以前の状態に戻ったとして、
現在の田沢湖の環境に適合し生息している生態系は滅びてしまうかもしれません。
それでもいいのでしょうか。

 

これらのことを、筆者はとても上手に表現しています。
誰が読んでも「間違いである」とは言えない文章です。

しかし、この14段落以降の内容を、
少しでもふくらめて自分の意見を書こうとすると、
実現不可能な「お題目」や、現実をともなわない「夢物語」になってしまいます。

この文章をもとに、「自分の考えを書け」という課題がもし出されたとしたら、
制限字数に収まるように、
  • 自然を保護することは大切なことである。
  • しかし、それはとても難しいことだ。
  • どうしたらいいかは、人々の英知を結集し、考え抜いた上で進めていかなくてはならない。
くらいに書いておくことをお勧めします。


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「幻の魚は生きていた」3……クニマスとヒメマスと黒いマスをきちんと読み分け、筆者の論証を確かめよう

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第3時 黒いマス=クニマスの証明


9段落に「新たな展開があった」とありますが、
ウィキベディアによると、「新たな展開」とは、次のようなことです。
  • 2010年、山梨県の西湖にて生存個体が発見された。きっかけは、京都大学の中坊徹次がタレント・イラストレーターで東京海洋大学客員准教授のさかなクンクニマスのイラスト執筆を依頼したことであった。さかなクンはイラストの参考のために日本全国から近縁種の「ヒメマス」を取り寄せた。このとき、西湖から届いたものの中にクニマスに似た特徴をもつ個体があったため、さかなクンは中坊に「クニマスではないか」としてこの個体を見せ、中坊の研究グループは解剖や遺伝子解析を行なった。その結果、西湖の個体はクニマスであることが判明したとし、根拠となる学術論文の出版を待たずして、12月14日夕方にマスコミを通して公式に発表された。
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9段落には「地元の人の話では、ヒメマスの中にも黒いものがいるという」とあります。
同じく、これについては、次のように書かれています。
  • 西湖の漁師には、この発見以前から「クロマス」と呼ばれて存在自体は知られていたが、「ヒメマスの黒い変種」程度にしか認識されていなかった。このため、西湖周辺では普通に漁獲されていたほか、一般の釣り客も10尾に1尾程度の割合で比較的簡単に釣り上げており、2010年以前にも「西湖でクニマスを釣り上げた」と再発見説を唱える者がいたという。産卵を前にして黒くなったヒメマスは不味であるとされることから、「クロマス」は釣れてもリリースされることが多かったというが、当然ながら「クロマス」を食する者もおり、伝承どおり、塩焼きにしてもフライにしても美味であったと語られている。
筆者の言う「黒いマス」というのは、さかなクンが見せたクロマスのことでしょう。
クロマスは「クニマス探しの運動」の時にはクニマスではない、と判定されていました。
当時の分析技術ではしかたがなかったとも言われています。

筆者は「クニマス」「クロマス」「ヒメマス」と、似たような言葉が並ぶのを避けるためにクロマスをあえて「黒いマス」と言い換えたのかも知れません。

 

そして10段落以降は、黒いマス=クニマスの証明となります。

筆者の論の展開は、次のようなものです。
  • 「黒いマス」はヒメマスではない。産卵の時期と産卵する水深が違う。黒いマス=ヒメマスというのは「疑問である」(10段落)
  • 「産卵時期と場所はほぼ一致する」ため「黒いマスはもしかしたらクニマスかも知れない」(11段落)
  • 「(えらと消化器官が)全てクニマスの特徴と一致した」「遺伝子の解析を行い、黒いマスはヒメマスとは別の魚」(12段落)
「黒いマス」「クニマス」「ヒメマス」と似たような言葉が次々と出てくるため、何を言っているのかわからなくなるかもしれません。
そんなときは、「黒いマス」に傍線を引き、線でつないだり、
「黒いマス」「クニマス」「ヒメマス」を表にまとめてみたりして、
きちんと押さえておきましょう。

表の空欄を埋めるテストとして出題されるかも知れませんね。

しかし、筆者が言うことをそのまま鵜呑みにしてはいけません。

筆者は、クロマス(黒いマス)=クニマス と断定していますが、
反論はできないでしょうか。

ポイントは「遺伝子的には黒いマス=クニマスと証明されていない」点です。
クニマスの遺伝子は現存していないから確かめようがありませんでした。

ですから、黒いマスはクニマスやヒメマスの亜種かも知れないし、今まで知られていなかった新種だったという可能性もあります。

ウィキベディアによると、筆者はきちんした学術論文にする前にマスコミに公表してしまったようですね。

 

この13段落までで、問題提起文の答えはすべて出そろってしまいました。
では次の14段落からは何が書いてあるのでしょう。


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「幻の魚は生きていた」2……「クニマスはなぜ西湖で生きていたのか」答えの効率的な見つけ方

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第2時 問題提起2の答えにあたる文を見つける

問題提起文2は「クニマスが、なぜ遠く離れた西湖で生きていたのだろう。」です。

この答えは、どこに書いてあるのでしょう。

問題提起文1の答えは6段落にありましたから、
問題提起文2の答えにあたる文は、7段落以降にあります。

 

第12段落以降にありそうですね。
  • この黒いマスはクニマスであった。(12段落)
  • 「幻の魚」は生きていたのだ。(12段落)
  • こうした偶然の一致によって、田沢湖で絶滅したクニマスは、遠く離れた湖底で脈々と命をつないでいたのだ(13段落)
どれも、答えっぽいですが、正解はどれでしょう。
正解のポイントは、
  • 問題提起文と対応しているか
です。

そう考えると、13段落の文が問題提起文と対応していることがわかります。
  • クニマスなぜ遠く離れた西湖で生きていたのだろう。
  • こうした偶然の一致によって田沢湖で絶滅したクニマス遠く離れた湖底で脈々と命をつないでいたのだ。

ダウンロード西湖

「偶然の一致」とは何か

 

こう聞かれたら、どこを見ればよいのでしょう。

文章の内容を考えるのは失敗のもとです。
目をつけなくてはいけない言葉は、「こうした偶然の一致」の「こうした」です。

つまり「こうした」により指示される内容を的確に答えればよいわけです。

「こうした」に近いものから順にあげると次のようになります。
  • ↓ 偶然の一致
  • ↓ クニマスが産卵して生存できる条件を備えていた
  • ↓ 田沢湖も西湖も、クニマスの産卵場所の周囲の水温は、四度だった
  • 田沢湖と西湖には共通点があった
ですから「『偶然の一致』とは何か」と問われたら、
解答の条件に応じて近い順から答えていく必要があります。

 



ちなみに、筆者は「命をつなぐ」と言っています。

筆者は、一匹のクニマスが生まれてから死ぬまでの、一匹の生命について言っているのではありません。
クニマスが、種として子孫を残していくことを「命をつなぐ」と言っているのです。

この13段落には筆者の意図的にミスリードをしています。

それは水深です。

田沢湖の水深と西湖の水深が異なることは、テキストの通りです。
そこで「どうして浅い西湖で命をつないでいけたのだろう」と筆者は問題提起をしています。

田沢湖と西湖の水深が異なることは、放流する以前からわかりきっていたことです。
水深が違うとクニマスが生息できないことがわかっているのなら、
最初から西湖に放流するはずがありません。

水深と産卵とは、クニマスの場合は最初から無関係なことだったのではないでしょうか。

ですから、数字に惑わされて
クニマスが西湖で生き延びてきた理由を間違えてしまわないようにしましょう。

温度さえ同じなら、クニマスはどこにでも産卵できるのですね。

以上の内容は13段落にすべて書いてあります。

黒いマス=クニマスの証明

7段落の最初に「そのクニマスが、遠く離れた西湖で見つかった」とあります。
8段落は、クニマスが絶滅したと言われてから、クニマス探しが行われたことを述べています。
そして9段落以降が「西湖で捕れたという黒いマス」はクニマスであることの説明です。

次の時間は、黒いマスがクニマスであると、どのように証明しているのだろうか読み取ってみましょう。

 

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「幻の魚は生きていた」1……問題提起文とその答えにあたる文の探し方をおさえよう

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「幻の魚は生きていた」は5時間扱いの単元です。
指導事項は、
B書くこと
  • ウ 伝えたい事実や事柄について、自分の考えや気持ちを根拠を明確にして書くこと。
C読むこと
  • イ 文章の中心的な部分と付加的な部分、事実と意見などとを読み分け、目的や必要に応じて要約したり要旨をとらえたりすること。
  • オ 文章に表れているものの見方や考え方をとらえ、自分のものの見方や考え方を広くすること。
となっています。

国語の授業は、
自然保護の大切さ等を考える道徳の授業や、
魚の生態等を調べる理科の授業とは違います。

国語では、なにを学習したらよいのでしょう。
imagesクニマス

第1時 問題提起文の答えにあたる文の見つけ方

2段落まで読むと、
疑問の形になっている文が二つあります。
  1. クニマスはなぜ田沢湖で絶滅したのだろう。
  2. また、絶滅したと思われていたクニマスが、なぜ遠く離れた西湖で生きていたのだろうか。
筆者は、京都大学の先生です。
この問いの答えがわからなくて、読者に聞いているわけがありません。
読者に問いかけることによって、読者を文章に引き込むための文です。
これを問題提起文と言います。

問題提起文には答えにあたる部分が必ずあります。
それはどこにあるのでしょう。
これを、より速く、より正確に見つけることが、国語では大切なことです。

まず最初の問題提起文「クニマスはなぜ田沢湖で絶滅したのだろう」の答えにあたる部分を探してみましょう。

6段落にあります。
6段落は次の二文で出来ています。
  1. こうしてクニマスは、人の手による環境の改変によって、他の多くの生物と共に田沢湖から姿を消した。
  2. そして、地元の人々の生活に根ざしていたクニマスをめぐる文化も同時に消えていった。

 

答えは、1.の文ですね。

 

なぜ1.が答えにあたる文でしょう。
  • クニマスなぜ田沢湖で絶滅したのだろう。(問題提起文1)
  • こうしてクニマス人の手による環境の改変によって、他の多くの生物と共に田沢湖から姿を消した。(6段落第1文)
問題提起文1と、6段落第1文とを比べてみましょう。
二つの文では、共に「クニマス」とあります。
更に、「田沢湖で絶滅した」と「田沢湖から姿を消した」が対応しています。

そして問題提起文の「なぜ」に対応する部分が「人の手による環境の改変によって」です。

問題提起文1の答えは「人の手による環境の改変」だということがわかります。

 

では「人の手による環境の改変」とは、どのような中身でしょう。

これは「こうして」が指示している内容です。

「人の手による環境の改変」とは、
「こうして」の近い順にみてみましょう。

「玉川の水は田沢湖に引き入れられた」ことであり、
その結果「酸性の水はクニマスをはじめとする田沢湖の生物に打撃を与え」たためです。

そしてこの目的は「農業用水」の確保と「水力発電に利用」することです。

もし「人の手による環境の改変とは何か」とテストなどで問われた場合は、
特に指定がない場合は「こうして」に近い順に答えなくてはいけません。

 



ちなみに、第6段落第二文の「クニマスをめぐる文化」って何でしょう。

答えは第3段落にあります。

「出産祝いや、病気見舞い、誕生日祝いに贈られる」「地元の民話にも登場」です。
たつこ姫
田沢湖にたつ、クニマスとゆかりの深い「たつこ姫」の像
「文化」とは「ある社会の成員が共有している行動様式や物質的側面を含めた生活様式」全般を言うようです。
ですから出産祝いや病気見舞いも文化なら、民話もカルチャー(文化)なのです。

「アニメ文化」と言いますが、「アニメ文明」とは言いません。
文化は精神的な活動なのです。
(一方、文明は物質的な活動を主に指すような気がします。)

次の時間は、問題提起文2について考えてみましょう。


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「シカの『落ち穂拾い』」5……この文章は「研究」といえるのだろうか。

生徒用の資料・解説はこちらのHPに載せてあります。
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 説明的文章には、
 製品の取り扱い方を正しく読み手に伝えるための電化製品のマニュアルのような説明文から、
 筆者の頭の中にある考え(筆者の主張)を正確に読み手に伝える論説文まで、様々な種類があります。

 この「シカの『落ち穂拾い』―フィールドノートの記録から」は、
 研究論文といって、学術研究の成果を筋道立てて述べた文章です。

 実際、横書き二段組みに直すと、研究紀要に掲載される書式とそっくりになります。
 私は、そのように直したA4のプリントを作成し、それを教材としています。
 (欲しい方は、ご連絡ください。PDFでプレゼントします。)

 研究が研究であるためには、どのような条件が必要なのでしょう。
 私は、次の三つを備えていなくてはいけないと考えます。
  • 客観性・妥当性
  • 独創性・新規性
  • 一般性・普遍性
 更に、インパクトファクターが高いもの(評価の高い雑誌等に取り上げられたり、他の研究にたくさん引用されていたりするもの)ほど「良い研究」と評価されます。

 

 これは、「授業研究」や「研究授業」など、
 私たちの身の回りにある「研究」と名前のついたものはみんな同じだと信じています。

 

 さて、「研究」の条件をこのテキストは備えているのか
 生徒に考えさる授業が、単元最後の授業となります。

 まず、生徒に「『研究』であるための条件」を自由に意見を出させ、
 教師がそれをまとめて、上の3つの条件を説明するまでが導入となります。

〈学習問題〉
  • この文章は、研究と言えるだろうか。
客観性・妥当性の検証

 客観性・妥当性とは、
 研究の筋道が論理だっており、誰が読んでも正しい(間違いとは言えない)ことです。

 これまでの授業では、
 「考察」の結論部をスタートに、
 それを導き出した「仮説の検証」、
 その元となる「仮説」や、「仮説」を導き出した「観察からわかったこと」を検証してきました。

 その結果、「観察からわかったこと」から「考察」までの客観性・妥当性はあると考えられます。

〈学習課題1〉客観性・妥当性を主張するために、あと何があれば良いのか。

 

 答えは「もととなった観察があるという事実は、何によって証明されるか。」です。

 そのために「観察のきっかけ」の項があり、
 その中でフィールドノートの存在が示され、
 確実にそれがあることを証明するために、写真まで載せています。
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 「え、そんなこと必要なの?」と思うかもしれませんが、
 特に自然科学の研究の場合、これはとても大事なことなのです。

 小○方さんの「STAP細胞はあります」の騒動の例を思い出してもわかるように、
 フィールドノートのあるなしが、その研究の真正性を担保するものだからです。

 だから、このテキストの副題
  • フィールドノートの記録から
なのです。

 「フィールドノート」という言葉を発見させ、
 フィールドノートに研究の起点があることや、
 フィールドノートをデジタルでなく紙に書いて残す意味等を考えさせます。

 

独創性・新規性の検証

 独創性・新規性とは、
 その研究がオリジナルのものであり、今まで誰も主張したことがない新しい内容であるということです。

〈学習課題2〉この研究は独創的で、誰も主張したことがないものなのだろうか。

 この答えは「観察のきっかけ」に次のように書かれています。
  • その(「落ち穂拾い」の)詳細が検討されることは、これまであまりなかったようだ。
 この一文は、
 「『落ち穂拾い』についての細かな研究は、私が調べた限りでは、ありませんでした。」ということです。
 従って、「『落ち穂拾い』について研究したのは、私が初めてです。」という宣言です。

 「これまであまりなかったようだ」とは優しい言い回しですが、
 謙遜した言い方では「管見すると存在は確認できなかった」
 つまり、先行研究について詳細に調べましたが、発見できませんでした、という
 相当断定的な言い方になります。

 更に「考察」で
  • これまで、樹上で暮らすニホンザルと地上で暮らすニホンジカは、互いに無関係に暮らしていると考えられてきた。しかし、一連の調査によって、この二種の動物がつながりをもって暮らしていることがわかってきた。
と、ニホンジカを専門とする研究者がこう言い切っているのですから、
 シカの「落ち穂拾い」についてはほとんど知られておらず、
 この研究が最初である、と(すこしドヤ顔で)宣言しているわけです。

 

一般性・普遍性の検証

 一般性・普遍性とは、
 研究が特殊な条件でしかあてはまらない限定的なものではなく、いつでもどこでもそれがあてはまるものである、ということです。

 このテキストの結果だけでは、
 「シカにとってサルは、食物が乏しく栄養状態の悪い時期に、自力では獲得が難しい、しかも栄養価の高い食物をたくさん落としてくれる、ありがたい存在である」という結論に、一般性・普遍性をもたせることはできません。

 一般性や普遍性は、その方向や範囲をどこまで広げていくかがポイントです。

 では、何を研究すれば一般性・普遍性のある研究と言えるようになるのか
 生徒に考えさせてもよいでしょう。

〈学習課題3〉どういうことを研究していけば、一般性・普遍性をもたせることができるか。

 テキストには、
  • サルの行動がシカの生活に及ぼす影響の大きさがどの程度なのか
  • シカのほうがサルにあたえる影響について
を、今後「調べてみたい」としています。

 これは、テキストにある通り、シカの「落ち穂拾い」の実態の詳しい調査です。

 では、一般性・普遍性をもたせるためには、どんな研究をしたらよいのでしょう
  • シカがサルの「落ち穂拾い」をするのは、金華山だけか。岩手県ではどうか。日本中はどうか。世界ではどうか。
  • シカはニホンジカだけか。サルはニホンザルだけか。サルやシカの種類が違ってもいえるのか。
  • サル以外に、シカが「落ち穂拾い」をする動物はいないのか。
 これらを生徒に考えさせるのです。

 他に「シカが『落ち穂拾い』をする理由は、他にはないのか」という意見が出ると思います。
 これは「反証」といいます。
 仮説(結論)に適合しない事例は、その仮説の限界を示すことであり、その限界を超えない限り仮説は正しい、という証明となるものです。
 「よく気がついたね」と絶賛してあげましょう。

 この三つの学習課題は、一斉授業ではやりきれません。
 やはりここは、個人→グループ→全体発表というような、アクティブラーニングの形式で授業を進めるのがよいかと思います。

 

 「シカの『落ち穂拾い』―フィールドノートの記録から」というのは、
 取り扱いが難しく、軽くスルーしてしまいがちな教材だと思います。
 しかし、しっかり教材研究をして授業にのぞめば、それなりにやりがいのある授業ができると思います。

 がんばりましょう。

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「シカの『落ち穂拾い』」4 授業の実際……仮説をたてるのに無理なところはないか

生徒用の資料・解説はこちらのHPに載せてあります。
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第4時 仮説をたてるまでに問題はないか

 仮説は、事実をもとにしてたてられていなくてはいけません。
 適当な思いつきでは、仮説とは言えないからです。

 「仮説」の項の第一文に、次のように書かれています。
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  • 記録をつけながら、私はシカが「落ち穂拾い」をする理由について考えた
 ここで「シカが『落ち穂拾い』をする理由」とは、二つの仮説を指します。
  • 仮説一 春は、シカの本来の食物が不足している。
  • 仮説二 サルの落とす食物のほうが、栄養価が高い。
 この仮説は、以下の疑問を解決するための予想でもあります。
  • わざわざサルがいる木の下まで集まってくるのだから、サルの落とす食物には、シカにとって何か魅力があるはずだ。(=サルの落とす食物には、どんな魅力があるのだろう。→仮説二につながる。)
  • また、その行動が春に集中するというのも不思議である。(=なぜ「落ち穂拾い」は春に集中するのだろう→仮説一につながる。)
 「~はずだ」「~不思議である」の部分をきちんと疑問文に直せない生徒もいるかもしれませんから、一人一人に書かせても良いかもしれません。
 順番が入れ替わっていることを、しっかりおさえます。
 (これは、論展開を円滑にする等の筆者に都合の良い理由があったと思いますが、華麗にスルーしましょう。)

 この流れを、授業でおさえてから、本時の学習問題を据えます。

〈学習問題〉
  • 筆者の持った疑問は、正しいのだろうか

 筆者の持った疑問は、前の項の集めた記録からわかったことから生まれています。

  • 「落ち穂拾い」は、三月から五月にかけての春に集中していた(図1)
  • 「落ち穂拾い」で、シカは十六種二十二品目の植物を採食した(表1)
  • 「落ち穂拾い」をするシカの数は、一回当たり一頭から二十一頭とばらつきがあった。
  • サルが樹上で採食するときには、途中で食べ飽きて枝を捨てることなどが多く、木の下には意外に多くの植物が落下していた。

 最初の項目は図1をもととし、「春は、シカ本来の食物が不足している」という仮説一たてて図2と対応させています。
 また二番目の項目は表1をもととし、「サルの落とす食物の方が栄養価が高い」という仮説二をたてて、表2と対応させています。
 三番目と四番目は「確かにシカはサルの『落ち穂拾い』をしている」という証明になります。

図1→仮説一→図2の展開の検証

 最初の「『落ち穂拾い』は、三月から五月にかけての春に集中していた」は、図1を論拠にしています。
 ポイントは、グラフから読み取れる内容と表から読み取れる内容が一致していなように見えることです。
  • グラフで4月が極端に多いが、実際は6回しか観察されていません。
  • 逆に5月は13回も観察されていますが、グラフではそんなに高くありません。
 この理由を、「割合」という言葉を用いずにきちんと文章で説明させます。

 この、一見一致していないことに気づかない生徒も多いようです。
 しかしこれに気づくことは、将来統計のウソにだまされないためには必要なことです。
 「なぜだろう」と疑問を持たなかった生徒に疑問を持たせることは、大切な学習だと思います。

 同時に「割合」の意味を具体的に文で説明させることが指導の狙いです。

 細かく見ると、毎月100時間以上観察しているにもかかわらず、
 4月だけはたった18時間しか観察していません。

 ひょっとしたら、たまたま観察したときだけ落ち穂拾いをしていただけなのかもしれない
 ……とういことも考えられますが、そこまで疑っても仕方ないので、スルーします。
 これに疑問を持った生徒がいたなら、「4月も100時間以上観察すればよかったのにね」と言っておきましょう。

 大切なのは、
  • 例えば『アンケートでは』とか『調査によると』とよくテレビや雑誌であるけど、どんなふうに調査をするかによって、調査の結果はいくらでもコントロールできます。世の中には自分の都合のいいように調査をコントロールすることがいくらでもあります。絶対にだまされないように、統計を見るときは気をつけましょう。
と教えることです。
 国語科だけでなく、社会科や理科、数学科でも、しっかりと教えていきたいですね。

表1→仮説二→表2の検証

 二番目の「『落ち穂拾い』で、シカは十六種二十二品目の植物を採食した」というのは、表1を論拠にしています。

 しかし、このことを読み取る以上に、生徒は表1から違う情報を読み取るのではないでしょうか。
 春と秋はたくさんの種類を採食していますが、夏と冬は一種類しか採食していないということに気づく生徒も多いと思います。

 表1に書かれたことと文章に書かれたことを照合して、それで納得してしまうだけでなく、
 「なぜ触れていないのか」と疑問を持つことも大切なことだと思います。

 図1によると、100時間以上観察して、冬は数回しか落ち穂拾いに遭遇していませんから、種類が少なくて当然のことです。夏も0.01%程度の遭遇率ですから、似たようなものでしょう。

 問題は秋です。
 秋の観察回数及び総観察時間は書かれていませんからはっきりとはわかりませんが、
 冬や夏に比べると、秋はけっこう落ち穂拾いに遭遇しているはずです。
 だからいろいろな種類があるのでしょう。

 図2によれば、夏ほどで多くはありませんが、それでも秋はイネ科の草の供給量が結構多いので、
 そんなに「落ち穂拾い」をする必要がないはずです。
 確かに春よりは少ないですが、いろいろな種類のものを「落ち穂拾い」しています。

 ということは、やはり
 サルの落とす食べ物の方が栄養価が高いので、冬に備えて落ち穂拾いをする
 という側面もあるのでしょう。

 しかし、本当に「サルの落とす食べ物の方が栄養価が高い」と言ってしまってもよいか、疑問が残ります。
 なぜなら、表2の「栄養価の比較」で、「『落ち穂拾い』で採食した食物」とは、いつの季節の何の栄養価なのか、それとも、全部ひっくるめた平均なのか、そのための計算式はどうなのかが説明されていないからです。

 そこで、秋も「落ち穂拾い」をする品目が多く、回数も冬や夏よりも多いことまで考え合わせると、
 仮説は次のように書き改めることができます。
  • シカが『落ち穂拾い』をする理由は、サルの落とす食物の方が栄養価が高いためであり、特に春は、シカ本来の食物が不足しているため、頻繁に行われる
 しかし、これが正しいかどうかは、肝心の秋の観察回数及び総観察時間の資料がないため、単なる予想であって、仮説とは言えません。
 筆者ならこれらのデータを持っていると思います。
ダウンロード (3)
 テキストに全てのデータを書かなかったのは、「夏はなぜ『落ち穂拾い』をしないのか」まで検証しなくては説得力のある論文にはならないことを、筆者はわかっていたからなのではないでしょうか。

 だから、中学生向けに確実に言える部分だけを書いたのではないかと思います。(確証はありません。)

 以上のことを1時間でおさめるのは無理でしょう。
 おそらく図1→仮説一→図2で1時間がほぼ終わりますから、

 表1→仮説二→表2は軽くおさえて、最後のまとめの授業に移るのが賢明だと思います。


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「シカの『落ち穂拾い』」3 授業の実際……疑いを持って「検証」を検証しよう

生徒用の資料・解説はこちらのHPに載せてあります。
興味のある方はどうぞご覧下さい。

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第3時 ただしく結論を導いているか

 仮説は次の二つです。
  • 一 春は、シカの本来の食物が不足している。
  • 二 サルの落とす食物のほうが、栄養価が高い。
 この二つの仮説を検証するために、「仮説の検証」の項をもうけています。
 前時に、この検証の部分から、考察の結論部は導かれていることはわかりました。
 そこで、学習問題として、次のものを据えます。
〈学習問題〉
  • A 仮説を確かめるための方法として、二つの検証は適切なものか
  • B それぞれの検証の内容は正しいのか
ダウンロード

具体的には、次のような学習になります。

〈一について〉
  • 「春は、シカ本来の食物が不足している」という仮説を証明するために「イネ科の草の供給量の測定」を行うことは適切か。
  • 図2から「春は、シカ本来の食物が不足している時期なのである」と言えるのか
〈二について〉
  • 「サルの落とす食物のほうが、栄養価が高い」という仮説を証明するために「食物の栄養価の分析」を行うことは適切か。
  • 表2から「サルの落とす食物は、シカ本来の食物よりも栄養価が高い」と言えるのか
 生徒は「教科書に載っているので正しいに決まっている」という漠然とした考えを持っています。
 これは「印刷物になっていれば……」「ネットに載っていれば……」と、際限なく広がり、
 自分の頭で考えることを放棄してしまう危険性を帯びています。

 特に、「図表や数値で表現されていればなんとなく正しいような気がする」という意識は払拭してあげたほうが、生徒の将来のためだと思います。

 検証の一と二を、いちいち一斉授業の中で取り扱っていると、1時間では収まりません。
 そこで、ワークシート等で一人一人にまとめさせ
 それをグループや学級で発表・検証していくアクティブラーニングを行います。

 検証するポイントは以下の通りです。

〈一について〉
ダウンロード (1)
○「シカ本来の食物であるイネ科の草」とあるので、
 仮説一の「シカ本来の食物」は「イネ科の草」と考えて良い。(ここまで疑うだけの知識はありませんからね。)

○図2から「春は、イネ科の草の供給量が不足している時期」と言っても良いのか。
  1. 縦軸の数字は何か。→1㎡あたりのイネ科の草の重さ。
  2. 調査した場所だけたまたま多い、少ないということはないのか。 →「刈り取りは毎月複数の場所で行った。グラフは、月ごとの草の平均値を示したもの」とある。統計的に誤差が出ないように工夫されている。(作為までを疑ったら、あとは自分で確かめるしかできませんからね。)
  3. イネ科の草の供給量が明らかに不足するのは、12月~4月(あるいは11月~5月)である。これを「春は、イネ科の草の供給量が不足している時期」と言って良いのか。 →イネ科の草の供給量が不足するのは冬から春にかけてである。従って「春は、イネ科の草の供給量が不足する」と言っても間違いとは言えない
 ポイントは、
  1. について……同じ意味の言葉による言い換え
  2. について……偶然性の排除=客観性の保障
  3. について……間違いでないものは正しいというレトリック
をきちんとおさえることです。
 特に3は、
 図2をしっかり見た生徒は
  • 「イネ科の草が少なくなるのは春と冬なのに、なぜ春と言っているのだろう」
という疑問を持ちます。
  • こういう言い方をして自分が導きたい結論にもっていくことがあるんだよ。この文章に悪意はないと思うけど、世の中にはわざとこういうテクニックを使ってみんなをひっかけようとする人がいるから、気をつけてね。間違ってはいないのだから、ひっかかったら負けだよ。」
と教えてあげます。
ダウンロード

〈二について〉

○仮説二とその検証方法は一致しているので、間違いではない。

○「サルの落とす食物は、シカ本来の食物よりも栄養価が高い」という結論は、正しいのか。
  • この結論は前文で「『落ち穂拾い』で採食した食物のほうが、一年を通して脂質やたんぱく質、炭水化物などが豊富で、食物にふくまれるエネルギーの量が多い」という表2の解釈をまとめたものである。このまとめは正しいか。
  • 「栄養価」とは何か。 →「脂質やたんぱく質、炭水化物など」と「食物にふくまれるエネルギーの量」の二つである。 →どこが違うか。 片方は「豊富で」とあり、もう片方は「多い」とある。「脂質やたんぱく質、炭水化物」は家庭科で学習する栄養素であり、他にビタミンやミネラルを加えて五大栄養素と呼ぶ。だから「など」と書かれている。一方五大栄養素の中で糖質・脂質・たんぱく質はエネルギー源になる栄養素であり、この三つが多ければ、当然「エネルギーの量」は多くなる。脂質・たんぱく質・炭水化物(糖質の一部)が多ければ、エネルギーの量が多くなって当然である。 →なぜ「栄養素」ではなく「栄養価」としたのか。 →「栄養素」は栄養の種類の豊富さを表現している。種類が豊富であっても微量であれば意味をなさないこともある。(ビタミンやミネラルなどは微量でも大丈夫ですからね。)そこでエネルギーとしての総量を明らかにした。だから「栄養としての価値」という意味で「栄養価」を使ったのだろう。
 ポイントは「栄養素」と「エネルギーの量」の言葉の使い分けです。
 「栄養価」にはこの二つの意味が含まれていることに気づかせます。
 そしてテストでは、記述問題としてこの二つがきちんと区別されているかどうかを見る問題が出題できます。


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