十種神宝 中学国語の基礎・基本

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アクティブラーニング……ハァァァーッ 話し合いは終わりだ これからは

ダウンロード (1)話し合いは終わりだ
ガメレオジン(『仮面ライダー(スカイライダー)』©石ノ森章太郎東映

 「では、グループでこの問題について話し合ってみましょう。」

 授業でよく聞く台詞です。
 指導要領の文言からは消えましたが「アクティブ・ラーニング」という言葉が、「問題解決型学習」という言葉とともに広まるにつれ、クローズアップされてきました。
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 そして、問題解決のためには話し合いが必要で、それがアクティブ・ラーニングだ、という考え方が生まれてきてしまったような気がします。

 本当にそれでいいのでしょうか。

 「アクティブ・ラーニング」は2012年8月中央教育審議会答申では次のように説明されています。

 「学習者である生徒が受動的となってしまう授業を行うのではなく、能動的に学ぶことができるような授業を行う学習方法です。」
 生徒が能動的に学ぶことによって「認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る」内容だそうです。


 まあ、一方的に講義をする授業に比べれば、「話し合い」は生徒が授業に参加する点で「能動的に学ぶ」姿は見られるでしょう。
 しかし、もともと「話し合い」というのは、異なる意見を調整し同意を得るための手段です。利害や意見の異なる者同士が互いに調整しあって答えを出すことが目的の活動なのです。

 確かに学活の「話し合い」は、クラス目標を考えるとか、クラスマッチのチーム分けをどうするかとか、というような問題を解決するためには有効な手段だと思います。
 しかし、例えば数学の問題を「話し合い」で解決しても良いのでしょうか。
 
 「話し合い」と「アクティブ・ラーニング」とは目的が違うのです。
 「アクティブ・ラーニング」は、あくまで生徒が能動的に学ぶための手段であり、生徒を能動的に学ばせることが目的なのです。

 アクティブ・ラーニングの手法はいくつかありますが、
  • Think-Pair-Share(他者の意見と比較をしながら、自分の考えを明確にしたり深めたりしていくのに適している。)
  • ラウンド・ロビンブレインストーミングの簡易版。新しい考えを次々に生み出していくにに適している。)
  • ピア・レスポンス(レポートやプレゼンテーションのアウトラインを他者の目を通して検討する。書き手と読み手の視点を体験するのに適している。)
 などが、授業で行われる主なものだと思います。
 これらはいずれも、その生徒に「考える力」をつけるための手段に過ぎません。ただ単に対話すれば、議論すればいいということではないのです。

 具体的に考えてみましょう。
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 例えば理科に、「化学変化と物質の質量」という単元があります。
 化学変化で物質の見た目は変わってもその背景には変わらぬ構造や法則があります。この構造や法則を理解するが一つの目標です。

 生徒にとって、目に見える事象との対話だけで解決するのは難しいと思います。
 そこで他者の意見や教師のアドバイスを聞く、つまり他者と対話することによって解決に近づくこともあります。
 そしていろいろな情報を自分の中で考え合わせ、自分自身と対話していくことによって解決していくものなのではないでしょうか。
 安易に知識を与えるのではなく、生徒一人一人が自分の考えを持って、それを対話によって修正していく過程に「学び」があるのだと思います。

 しかし、そういった構造や法則を既に知識として持っている生徒は、どの学校のどの教室にもいます。そして、それを他人に吹聴したがる生徒もいるかもしれません。
 そういう生徒には「なぜそう考えたの?」「どうやって証明したの?」と聞いてあげましょう。
 (本で読んだり人に聞いたりしたことをそのまま信じるのって、宗教的で非科学的だよね。)
 そしてそれを、「どうやったら確かめられると思う?」と全体に投げ返す方法もあります。
 「知っている生徒がいて答えてしまったら終わり」というのは知識偏重の姿勢でアウトです。生徒への切り返しは、教師の技量が問われるところです。

 また英語科では、ただ対話活動をやらせればいい、というわけにはいきません。なぜなら、生徒の「学び」が「アクティブ」にならないからです。
 授業では「こんな表現を身につけさせるために、どんな活動をさせればよいのだろう」から「こんな表現をしたくなるような活動は、どんな活動がベストだろう」という発想の転換が必要です。

 今までの授業では「先に英語表現ありき」という授業が多かったような気がします。
 ジョークのネタになっている “Is this a pen?” “Yes.it's a pen.” という対話とか“I am a boy.”というような文がその例です。「そんなの見りゃわかるだろ」「なぜそれを言う?」と突っ込みどころ満載の不自然な文が「先に英語表現ありき」の考え方です。

 例えば「過去形を使わせる」ために「昨日何を食べましたか」と互いに質問させる授業があります。
 生徒は、なぜ昨日食べたものを友達に聞かなくてはいけないのでしょう。また、なぜその質問に律儀に答えなくてはいけないのでしょう。「ノーコメント」ではいけないのでしょうか。
 これが「先に英語表現ありき」の授業です。

 「過去形を使うために会話する」という考え方の先にあるのがアクティビティ英語を使っての活動・体を使っての遊び)です。
 アクティビティは確かに必要な活動だと思います。しかし、決まったパターンを使った活動=アクティビティは、お子様向けの英会話教室で盛んにやっていることであり、AIの最も得意とするところです。
 指導要領で目指す、英語科における「言語活動の充実」とは「昨日食べたおいしかったものを友達に伝えたいから過去形を使う」ように仕向けなさい、ということだと思います。 
 実生活で生きてはたらく言葉の力を育てるには、表現しようとする気持ちを誘い、「この表現を使ってみよう」「自分の言いたかったことが言えた」と感じられる授業場面(英語の使用場面)をいかに設定するかが鍵となるのではないかと思います。
 

 これからは「伝えたいことが先にある学習活動」を単元や授業に位置づけることを大切になってくるのではないでしょうか。
 これはAIにはできないことだと思います。しかし、使わせたい表現を使いたくなるような授業の場面設定というのは、とても難しいことです。まさに教材研究の力量が問われることになると思います。

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