初釜や ひそかに灰の美しく
1月7日頃までは松の内と言って玄関に松飾りを飾り、その後鏡開きがあります。
この頃寒稽古や初釜が行われますね。
初釜とは、正月を迎えたことを祝い、元旦に汲んだ若水を使って行う新年最初の茶会のことです。
(お菓子は花びら餅が出てくるとちょっと嬉しいですね。)
この頃寒稽古や初釜が行われますね。
初釜とは、正月を迎えたことを祝い、元旦に汲んだ若水を使って行う新年最初の茶会のことです。
(お菓子は花びら餅が出てくるとちょっと嬉しいですね。)
冒頭の句は、初釜という華やかな場で、あえて灰の美を詠んだところに侘び寂びが感じられます。
これを詠んだのは一茶。と言っても小林一茶ではなく、北海道大学の川村秀憲教授が開発したAI「一茶くん」です。
「一茶くん」は江戸から現代まで古今の名句と、季語にちなむ写真を学習し、句題か写真を示すとそれに即した俳句を1時間に14万首も詠むことができます。
しかし「残念ながら玉石混交です。だれか人の手を借りて選ばないと、多すぎて句会が台無しになります」。(朝日新聞「天声人語」2020.1/4)
AIは、見えたものや聞こえたものなどを含む膨大なデータを処理して判断し会話することや、決まったルーティーンを繰り返し早く正確に答えを導き出すことができます。
ですから将来、行政書士等の専門職やファミレス等の接客はAIに取って代わられるだろうと言われています。
一方、学習していないことでも自分で考えて判断し実行すること、抽象的にものごとを考えること、善悪や美醜の判断をし行動につなげること、人の気持ちを汲み取ることなどが苦手です。
ですから「一茶くん」は膨大な俳句を作れても句の善し悪しはわかりません。
善し悪しを決めるのは人間なのです。
(正岡子規の「月並」や戦後の「第二芸術論争」を思い出しますね。この手の論争はシリアスなマンガやラノベなどで「名作は存在するか」というテーマで時々お目にかかります。)
新学習指導要領では、このAIが苦手なことのなかでも、学習していないことでも自分で考えて判断し実行することを特に重点的に指導しようとしているような気がします。
一方善悪や美醜、人の気持ちを汲み取る等は「道徳」に丸投げしようとしているように思えてなりません。
しかし同じものを見ても、眼鏡の色が違えば異なる色が見え、同じ情報を分析、処理しても、ソフトが違えば処理結果は異なります。
大切なのは、(何が「正しい」のかはさておいて)正しい結論を導き出すには、正しい人生観、生命観、価値観、倫理観が形成されていなくてはいけない、ということです。
一方善悪や美醜、人の気持ちを汲み取る等は「道徳」に丸投げしようとしているように思えてなりません。
しかし同じものを見ても、眼鏡の色が違えば異なる色が見え、同じ情報を分析、処理しても、ソフトが違えば処理結果は異なります。
大切なのは、(何が「正しい」のかはさておいて)正しい結論を導き出すには、正しい人生観、生命観、価値観、倫理観が形成されていなくてはいけない、ということです。
生徒たちに良いことと悪いこと、美しいことと醜いこと、変化し続ける心の襞を汲み取り手を差し伸べることは、人間しか教えることができないことだと思います。
私たちは、(財界や経済産業省の要望に添った)学習指導要領で求める人材を育成する一方で、更に意図的に、人としての心を耕していかなくてはいけないと思います。
(だから文学的文章の指導が極端に減少する昨今の傾向を国語科として危惧しています。)
人に人の心を教えるためには、まず教える側の心のありようが問われます。
何が正しいのか、何が美しいのか、人情の機微に触れるとはどういうことなのか、背中で教えることができる教師になって欲しいと思います。
そのために、これからも自らを見つめ、高めていきましょう。
いよいよ仕事始め。がんばりましょう。