昔語り 2……破り捨てられた学級通信
「青焼き」というのは青写真のようなもので、今のコピーにあたります。
半透明のコピー用紙に原稿を書き、それとクリーム色の印画紙を重ね、複写機にかけると写真のようなプリントができます。
一枚一枚コピーしなくてはいけませんし、アンモニア臭がきつかったのを覚えています。これを必要数刷って検討してもらっていました。
半透明のコピー用紙に原稿を書き、それとクリーム色の印画紙を重ね、複写機にかけると写真のようなプリントができます。
一枚一枚コピーしなくてはいけませんし、アンモニア臭がきつかったのを覚えています。これを必要数刷って検討してもらっていました。
その後「謄写ファックス」が登場し、ドラムの一端に紙原稿、他端に原紙を巻き付けて製版するようになりました。
チャッチャッという音と共にドラムが回転し製版していくものでした。
それとほぼ同時に、鉛筆で書いた原稿を原紙と重ね、強い光を当てて製版するプリントゴッコと同じ原理のものも一時期併用していました。
また子ども達の文章を印刷する場合は、ホワイトミリア原紙と言ってボールペンで書ける謄写版原紙を使いました。
私が大学生の頃、コンピュータといったら大学の情報処理センターくらいにしかありませんでした。
穴のあいた紙(カードやテープ)で入力し、記憶するにもオープンリールのテープしかない時代です。
ワープロも職員室の机くらいの大きなもので、研究室に一台しかありませんでした。
私が就職して2年目に、NECからPC8801というパソコンが発売されました。
漢字ROMボードを搭載し、黒、青、赤、マゼンタ、緑、シアン、黄色、白の8色のカラー表示ができ、テープではない5インチフロッピーディスクがついていました。
メインメモリは64KBあり、更にフロッピーディスクの容量は1.2MB……新聞紙何百枚分もの情報を記憶することができるという画期なものでした。
ちなみに現在私の使っているノートパソコンのメインメモリは16G、内部ストレージは1Tで、2Tの外付けハードの他、Googleドライブには2Tの容量を確保してあります。(笑)
価格は25万円くらい、当時の私の給料の数ヶ月分でした。
しかし、将来必ずコンピュータによって学校の仕事や授業は変わるに違いない、と考えていましたので、インクリボンを交換して使うドットプリンターとあわせて、給料の半年分をつぎ込み買ってしまいました。
PC8801にはBASICというプログラム言語も組み込まれていたので、自分でプログラムを組んで教材を作ろうとも考えていました。
どんなことを書いたか忘れてしまいましたが、いつもの内容に「この文章はワープロで作りました。」と書き加えた記憶があります。
きっと印刷物のコピーだと思われたくなかったのでしょう。少しは自慢したい気持ちもあったのだと思います。
そして意気揚々と教頭先生に見せに行きました。
当時は直接持っていってご指導を受けるシステムでした。
教頭先生は私の学級通信を見るなり、私の目の前でビリビリと破り捨てました。
- ワープロで作ったものなんかに心はこもっていない。子どもたちに心のこもっていないものを配って恥ずかしくないのか。」
手書きでなければ心がこもらないなら文学の本はどうなの?心はテキストの中に込められるもので手書きかどうかは関係ないだろ……と思いましたが、私は何も言い返すことができませんでした。(こわかったからです。)
今はもうこういうことをおっしゃる教頭先生はいないと思います。
しかし、みなさんが作る学年通信や学級通信に「心がこもっているか」と叱ってくれる先生も減ってしまったようです。
私のプリントを破り捨てた教頭先生を笑うことは簡単なことです。
しかし「生徒に配るプリントには心をこめる」ことを何より大切にした教頭先生の気持ちを、みなさんにお伝えしたいと思います。