十種神宝 中学国語の基礎・基本

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教師のまなざし……心を何処に置こうぞ 剣禅一如

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バガボンド」©井上雄彦

  心を何処に置こうぞ、
  敵の身の働に心を置けば 敵の身の働に心を取られるなり、
  敵の太刀に心を置けば  敵の太刀に心を取られるなり、

 これは、沢庵和尚の『不動智神妙録』にある言葉です。
 沢庵和尚は、柳生宗矩とも親交のあった人で、剣禅一如の境地を説きました。

 授業中の私たちの活動は、否応なく生徒の反応に影響を受けます。
 「これをやろう」とあらかじめ設定された目標に対し十分な成果をあげるためには、どうしても時々刻々変化する生徒の状況をインプットする……「みる」ことが必要となります。

 授業中、どこに、どの向きで立ったら生徒全員が見渡せるでしょう。そこは、生徒1人ひとりの表情はもちろん、手元で何をしているかもわかるでしょうか。
 また、わからなければ、机間指導という名前の、データ入手をする仕掛けを組み込んでいるでしょうか。

 生徒に挙手を求めたとき、挙手している生徒をみると、挙手していない生徒がみえなくなります。
 しかし、挙手していない生徒にこそ目標が達成できるか否かの鍵があります。
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 その生徒はなぜ挙手していないのでしょう。
 「考えていない」「何を答えなければいけないのかわからない」から「人の答えを聞いて」「わかるけど答えるのが面倒」まで、様々です。
 手を挙げていない生徒を分析し、次の一手を決定するのです。

 「みる」ことは、次の行動を決定するためのインプットです。
 ですから挙手した生徒だけでなく生徒全体を一し(一通り目を通し)察する(客観的にみる)必要があります。もし「何を答えたらいいのかわからない」とた(診断した)のなら、気を配ってて(看護して)あげなくてはいけません。

 しかし今度は逆に、挙手していない生徒に気をとられると、挙手した生徒は何のために手を挙げたのかわからなくなってしまいます。

 

  唯一所に止めぬ工夫、是れ皆修行なり
  心をばどっこにも止めぬが 眼なり、肝要なり、
  どっこにも置かねばどっこにもあるぞ、
  心を外をヘやりたる時も、
  心を一方に置けば九方は欠けるなり、
  心を一方に置かざれば十方にあるぞ。
                                                                              沢庵「不動智神妙録」

 

 生徒だって、先生がいつも自分をて(視覚的にとらえて)いることがわかれば、それなりに授業に取り組むのではないでしょうか。
 そうなれば教師の「まなざし」は、生徒の行動のインプットではなく、生徒の行動を制御するアウトプットともなるのです。

 まあ、なかなかできることじゃありませんけれどもね。



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