十種神宝 中学国語の基礎・基本

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「シカの『落ち穂拾い』」2 授業の実際……テキストを逆に読んで検証していこう

生徒用の資料・解説はこちらのHPに載せてあります。
興味のある方はどうぞご覧下さい。

「シカの『落ち穂拾い』」の学習プリントを作成しました。
興味のある方はこちらへどうぞ。

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第1時 何の話で、結論は何か
  • 「何の話か、なるべく簡単に答えましょう」
 すると、ほぼ間違いなく「シカの『落ち穂拾い』の話」と返ってきます。
 題名がそうなっているからです。
  • 「シカの『落ち穂拾い』とは何ですか」
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 これは、定義文を考えさせる発問です。
  • 樹上の動物が落とした食物を地上の動物が採食するという行動
 多くの生徒は、この「落ち穂拾い」の定義文を答えてしまいます。
 しかし、発問に即してこの定義文を書き換えたものが正解です。
  • サルが落とした食物をシカが採食するという行動
 一年生ですから、こういう基本的なことからしっかり教えていきたいと思います。

 そして最後に中心の発問を出します。
  • 筆者が一番言いたいことは何ですか。一文で抜き出しましょう。
 説明的文章には、要旨が必ず書かれています
 それを発見させる発問です。

 「それはどこに書いてあるか」と言われると、文章の最初から探そうとする生徒がいます。
 そのような生徒がいた場合、「文章全体の中でどこらへんに書いてあると思う?言いたいことは最初か最後にあるよね。」と机間指導していきます。

 説明的文章には「頭括型」「尾括型」「双括型」の3種類があるという指導です。
 多くの生徒は、既にそのことに気づいていると思います。

 「筆者の一番言いたいこと」という発問によって、下のようないくつかの答えが出てくると思います。
 選んでくるのは、たいてい「考察」の中の一文です。
  • 第一段落「シカにとってサルは~ありがたい存在であると考えられる。」
  • 第二段落「しかし、一連の調査によって~わかってきた。」
  • 第二段落「私は今回の調査を通じて~感じている。」
  • 第三段落「動物たちにとってバランスのとれた生息環境を維持するために~喜びである。」
 どれが筆者がこの文章を通して最も主張したいことなのか、生徒に考えさせます。

 いろいろな意見が出てまとまらない場合は、文末表現を比較させます。
  • 「考えられる。」
  • 「わかってきた。」
  • 「感じている。」
  • 「喜びである。」
 すると、結果から導かれた結論は第一段落にあることに気づくと思います。
 「説明的文章では、文の結び方までしっかりおさえましょう」と念押しをし、
 最後に「では、この結論は本当に正しいと言えるのか、次の時間に確かめてみましょう」と言って、終わります。

 

第2時 結論はなぜ正しいと言えるのか

 この文章の結論は、「考察」の第一段落に書かれています。
  1. シカにとってサルは、
  2. 食物が乏しく栄養状態の悪い時期に、
  3. 自力では獲得が難しい、
  4. しかも栄養価の高い食物をたくさん落としてくれる、
  5. ありがたい存在である
 「考察」のまとまりの最初の段落に書かれていますから、「考察」の部分は頭括型の文章であることがわかります。
  • 文章全体では尾括型だが、意味段落に区切ると頭括型となることがある。
 教科書や入試問題などでは、字数の関係から、このような書き方をする説明的文章が多いことを、生徒に教えておいてもよいでしょう。

 

 この結論部をスタートとして、授業はこの文章を逆に読解していきます。

 

 この結論部分は、1~5のパーツに分かれています。
 そこで、各パーツを検証していきます。
  1. パーツ2 落ち穂拾いをするのは「食物が乏しく栄養状態の悪い時期」と言えるのか。
  2. パーツ3 落ち穂拾いで食べる食物は「自力では獲得が難しい」と言えるのか。
  3. パーツ4 サルは『栄養価が高い食物をたくさん落としてくれる』と言えるのか。
 パーツ2「食物が乏しく栄養状態の悪い時期」は、「仮説の検証 一について」の最後から言えます。
  • 「落ち穂拾い」が多く生じる春は、シカ本来の食物が不足している時期なのである
 これはすぐに出てくると思います。

 しかしこれだけでは「食物が乏し」い時期の部分しか対応していません。
  • 栄養状態が悪い時期」というのはどこからわかるのか。
と更に質問します。

 すると「さらに、興味深いデータがある。」出始まる部分の最後
  • 春先は、一年の中で、シカの栄養状態が特に悪い時期なのである。
という記述に気づきます。

 図3や岩手県の調査は、どちらの仮説の補足説明であるかを考えると、迷ってしまうことが多いと思います。
 それよりむしろ、この調査は、結論のどこと結びついているか、に視点をあてるべきだと思います。

 

 ここで指導したいことは、次のものです。
  • 結論部と検証部分は、必ず対応していなくてはいけない。「食物が乏しく」だけのデータしか示せなかったら「栄養状態が悪い」という結論まで導くことはできない。科学的文章ではなくなる。一字一句に注意し、勢いで納得してはいけない。
  • 結論部分に対応する検証部分は一箇所だけではないことがある。
  • 結論部分に対応する検証部分には、同じ意味の言葉(「乏しく=不足している」、「栄養状態が悪い=栄養状態が特に悪い」)が必ず含まれる言い換えに注意し、集中的にそれを探せば良い。
 パーツ4「サルは『栄養価が高い食物をたくさん落としてくれる』のか」については、すぐに「仮説の検証 二について」が出てくると思います。
  • サルの落とす食物は、シカ本来の食物よりも栄養価が高いのである
 問題はパーツ3「自力では獲得が難しい」です。これはどこから言えるのか、生徒は迷うと思います。
 「結論部と検証部分は、必ず対応していなくてはいけない」という鉄則に従い、「なぜそれが言えるのか」を考え、結論を導くのが生徒の学習です。
 生徒は、次のように考えるでしょう。
  • 「仮説の検証 一について」から「春は、シカ本来の食物が不足している」とあるから、当然「自力では獲得が難しい」といえる
  • 「仮説の検証 二について」から「サルの落とす食物は、シカの本来の食物よりも栄養価が高い」とあるから、落ち穂拾いで得る食物は「自力では獲得が難しい」ものだといえる
  • 「観察のきっかけ」のフィールドノートの絵からは、サルがいないと食物が得られないことがわかる。だから「自力では獲得が難しい」と言えるのではないか。
 これをまず考えさせ、その考えをノートに書かせ、それを発表させていきます。

 ここが、生徒が自分の考えを練り、それを出し合い、検証していく大切な場面となると思います。


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「シカの『落ち穂拾い』」1……この教材で何をやったらよいのだろう

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PISA型の「読解記述力」に惑わされてはいけない

 「シカの『落ち穂拾い』」を教えにくい教材だと思う方は多いのではないでしょうか。

 説明的文章なのですが、
 文章だけではなく、写真や図表が多く用いられ、なんだかPISAや全国学調の問題に似ています。
 ……だから、そいういう力をつけなくてはいけないのかな?

 これが教えにくいと感ずる原因の一つなのではないでしょうか。

 確かに、PISAや全国学調に見られるの問題は、文章と写真・図表等の複合テキストです。
 しかし、PISA等で測ろうとしているのは「読解記述力(複数のテキストから必要な情報を取り出し、解釈し、結論を表現する力)」です。

 そのため、PISAは文章・写真・図表等の複数のテキストが並立して提示されています。

 これに対し、「シカの『落ち穂拾い』」は、写真や図表はあくまで文章の補助としてしか用いられているに過ぎません。
 この教材は、あくまで「文章を読んで内容を理解する」ための教材であり、写真や図表は文章理解を助けるという役割しか果たしていません。

 PISAや全国学調を意識した授業はする必要がないと思います。

 このことは、上にあげた光村図書の「指導事項」や「言語活動例」から見てもわかります。
  • イ 文章の中心的な部分と付加的な部分事実と意見などとを読み分け、目的や必要に応じて要約したり要旨をとらえたりすること。(指導事項)
  • エ 文章の構成や展開、表現の特徴について、自分の考えをもつこと。(指導事項)
  • イ 文章と図表などとの関連を考えながら、説明や記録の文章を読むこと。(言語活動例)
 この教材では純粋に「読解表現力」ではなく国語科の考える「読解力」を身につける指導を行えばよいのです。

論文を読む力をつけよう

 この文章には、次のように、文章のまとまり毎にタイトルがつけられています。
  • 観察のきっかけ
  • 観察からわかったこと
  • 仮説
  • 仮説の検証
  • 考察
 これは、理科の自由研究の項立てとほとんど同じです。
 いってみれば論文と非常によく似た構成をもっています。

 この文章は、自然科学系の論文を視野に入れた書き方なのです。

 

 論文の価値は、次の観点から評価されます。
  • 客観性・妥当性(仮説を導く論理に飛躍や思いこみがなく、論理的に正しいこと)
  • 独創性・新規性(他の文献等に既に出ているものや似たものがなく、オリジナリティを主張できるものであること)
  • 一般性・普遍性(特殊な事象にしか通用しないものだと、高く評価されない)
 また、インパクトファクターが高いもの(評価の高い雑誌等に取り上げられたり、他の研究にどのくらい引用されるか)ほど「良い研究」と評価されます。

 

 この文章は、以上の評価の観点をとても上手にクリアしています。さすが京大の先生だと思います。

d54e72acb51459cd5422661fee58da0c辻大和先生のHPから

 論文は、次のポイントを押さえながら読むべきだと思います。
  • 何についての研究か
  • 結論は何か
  • 結論を導く論理に誤りはないか
 そこで、授業でもこの点に留意し、
 「より速く、より正確に」論文型の説明的文章を読解する力が身につくよう、
 全5時間の単元を進めていきます。


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現代文学教材の時代背景

このブログに書かれた内容を、更に詳しく説明した冊子を作りました。
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現代文学とは、自分と同時代の文学、現在の文学という意味です。
普通、第2次世界大戦の終わった 1945年以降の作品を指します。

しかし、戦後70年以上も経っています。
現代文学の舞台となる「現在」と言っても、
第2次世界大戦以降、さまざまな時代がありました。

ここでは、教科書に載っている作品は「いつ」の時代の話なのかを解説します。

それぞれの時代に何があったかを知り、登場人物たちが、どんな人生を送ってきたのかを考え、読解に役立てましょう

大人になれなかった弟たちに……(中学1年)
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この作品は、終戦直前(1944~1945年)を振り返る物語です。

〈ヒロユキ〉がなくなったのは1945(昭和20)年、終戦の年です。その前年からの様子が描かれていますから、1944~1945年までの物語です。

「福岡から南へ二十キロほど行った、石釜という山間の村」とありますから、場所は福岡県が舞台です。

〈僕〉は戦後ずっと「このこと」、つまり〈母親〉や栄養失調で死んでいった〈ヒロユキ〉のことを思い続け、その後の時代を歯を食いしばって生きてきたのでしょう。

 

字のない葉書(中学2年)
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「字のない葉書」は戦中・戦後(1945~1950年頃)を振り返る物語です。

はっきり年代が書かれているのは後半のエピソードで、1945年の終戦の年です。

では物語の〈現在〉はいつでしょう。

後半のエピソードで「あれから三十一年。父はなくなり、妹も当時の父に近い年になった」とあります。
ここから終戦の年から31年後の1976年が〈現在〉ということがわかります。

6歳だった〈妹〉は31年後の〈現在〉37歳になっています。
ですから後半のエピソードの〈父〉は30代半ばということでしょう。

一方前半のエピソードで〈邦子〉は「女学校一年で初めて親元を離れ」とあります。
後半のエピソードで〈邦子〉はまだ一人暮らしをしていませんから、1945年より後の話です。

女学校というのは高等女学校(今の中学校)か女子専門学校(今の高等学校)のことです。
女学校は1947年(昭和22年)の学制改革により廃止されました。
ですから〈邦子〉が女学校に入学したのは終戦直後の1946年ということになります。
この時〈邦子〉は高等女学校なら12歳、女子専門学校なら16歳でした。

「父は六十四歳でなくなったから、この手紙のあと、かれこれ三十年付き合った」とあります。
ここから、〈父〉は1946年から30年後の1976年になくなっています。

このことから〈現在〉は〈父〉が亡くなってからすぐ後のことです。

年代を整理してみましょう。
1945年の終戦直前〈妹〉は甲府疎開しました。
その翌年、終戦直後1946年に〈邦子〉は女学校に進学し一人暮らしを始めます。
〈妹〉の疎開から31年後の1975年に〈父〉は64歳でなくなります。
作品の〈現在〉は1975~1976年です。

〈父〉の死後、〈父〉のことを思い出して書いた作品と言うことになります。
(この作品世界の設定です。実際の作者の経歴とは異なります。)

この時〈妹〉はアラフォー、姉である〈邦子〉は40代超えで、もし女子専門学校に進学していたのなら50歳近くです。
おばさんになり、近年〈父〉を亡くした〈邦子〉が、少女だった頃の〈父〉の姿を思い出しているのです。

「不器用な父の、家族への愛情」に気づき驚いたのはもう三十年以上も昔の話。
〈現在〉は、その時の〈父〉の姿を懐かしく思い出しているのではないでしょうか。

 

握手(中学3年)
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「握手」焼け跡時代(1945~1950年頃)を振り返る物語です。

〈私〉が〈ルロイ修道士〉の天使園で暮らしたのは「中学三年の秋から高校を卒業するまで」ですから15~18歳の出来事です。

この高校時代の回想のなかで闇市が登場します。
闇市があったのは1945~1950年頃です。
また有楽町は浅草で映画館等が復活したのは終戦直後の1946年からです。
この頃のエピソードが物語の中心になります。

作品の〈現在〉は〈ルロイ修道士〉が亡くなった翌年です。
〈私〉は前の年に上野公園の西洋料理店で〈ルロイ修道士〉と会った時のことを思い出し、その思い出の中で更に高校時代の回想を行っています。

作品の〈現在〉は〈ルロイ修道士〉が上京の折に使用した列車から、1982(昭和57)年東北新幹線開業以前のことだと思われます。

 

盆土産(中学2年)
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高度経済成長の時代(1960年代前半)の物語です。

物語の重要アイテムとして冷凍海老フライが出てきます。
冷凍海老フライが発売されたのは1962(昭和37)年。冷凍水産品の製造と販売を行っていた加ト吉水産(現テーブルマーク)が冷凍食品「赤エビフライ」を発売しました。
しかし当時、電気冷蔵庫は50%しか普及しておらず、当然冷凍食品を冷凍されたまま輸送する手段もほとんどなかったため、地方の人々にとってはとても珍しい食べ物でした。

東京では映画『三丁目の夕日』のように、東京タワーが建設され、東海道新幹線がつくられていました。
一方田舎ではアニメ『となりのトトロ』のように、ボンネットバスに車掌さんが乗っていて、家庭電話もほとんど普及していませんでした。

この時代は、道路や鉄道を作るとか送電線を張り巡らすとかの、生活や産業の基盤となる公共設備を整え充実させるインフラ整備が盛んに行われいました。
都会では工事現場の仕事がいくらでもあったのです。
主人公のお父さんも現金収入を求めて東京へ出稼ぎに出ていった一人でしょう。

 

アイスプラネット(中学2年)
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バブルの時代(1980年代)の物語です。

〈ぐうちゃん〉は「三十八歳。学生の頃に外国のいろんな所を旅していたらしく、気づいたときには僕の家に住み着いていた」人です。

戦争中はもちろん戦後も政府やGHQの規制により観光目的の海外旅行はできませんでした。
学生が自由に海外旅行に行くことが出来るようになったのは1960年代後半からです。
この頃は高度経済成長のまっただ中でした。
同時に安保闘争とか大学紛争と言って、社会の変革を求める学生運動が盛んになり、一方で自然と自由を愛するヒッピーとかフーテンとか言われる若者が増えました。
当時20歳くらいの〈ぐうちゃん〉もその一人です。
このことから〈ぐうちゃん〉は1940年代後半に生まれた「団塊の世代」です。
きっと〈ぐうちゃん〉は長い髪の毛を肩まで伸ばし、穴のあいたジーンズをはいて外国を旅行していたのでしょう。

作品の〈現在〉は、〈ぐうちゃん〉が海外旅行をしていた時代から20年ほど経っていますから、1980年頃です。
当時世の中はバブルに沸いていました。バブルで景気が良かったから〈ぐうちゃん〉はまた海外旅行に行けたのかも知れませんね。

この時〈悠君〉は中学生。ですから〈悠君〉は1970年半ば頃の生まれです。
この世代は「団塊ジュニア世代」とも呼ばれています。
〈ぐうちゃん〉やそのお姉さんである悠君のお母さんは団塊の世代ですから、つじつまがあいますね。

またこの世代は「氷河期世代」とも呼ばれ、就職の時期に日本は深刻な不景気に襲われたため、フリーターやニートなどの就職難民が非常に多い世代でもあります。
〈悠君〉のお母さんの「大人になっても毎日働かなくてもいいんだ、なんて思って勉強の意欲をなくしていったとしたら」という心配は当然です。

〈悠君〉は世界の不思議を自分の目で確かめることができたのかよりも、きちんと就職できて今も務めているのか心配になります。

 

時代がはっきりわからない物語
 
「花曇りの向こう」(中学1年)
舞台が関西地方であることまではわかりますが、時代は不明です。
駄菓子屋は1980年代以前にはそこらじゅうにありましたが、現在でも残っていますから、これによって時代を確定することはできません。

「星の花が降る頃に」(中学1年)
学習塾が一般的になったのは1965(昭和40)年以降から現在に至ります。複数の塾があり、それを選ぶことができ、校庭が広いことなどから、舞台は中小都市くらいでしょうか。

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花曇りの向こう 3……省略された言葉を補って読む

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三時間目 省略された言葉を補う
  • 明生君はどうしたいのでしょう。
「仲良くなりたい」等の答えはすぐ返ってくると思います。
  • それは、どこに書いてありますか。残念ながら、どこにも書いてありません。しかし、なんとなくわかりますね。
  • この文章には、「読者はわかっているから」ということで、わざと大切な言葉を省いています。わたしたちは、その大切な言葉をわかったつもりになって読んでいるのです。しかし、実ははっきりとわかっていないことが多いようです。
  • 今日は、書いてある内容がはっきりわかっているか、確かめながら読んでいきましょう。
と言い、本時のねらい「省略された言葉を補う」を板書します。

 

なかなか厄介だ
  • 何が厄介なのですか?
  • なぜ厄介なのですか?
  • 明生は具体的に何をしたいのですか?
「この三つを、はっきり言葉でつかまえましょう。」

 

厄介とは「手間がかかって面倒なこと」です。

「何が厄介なのか」は、主語を探せば良いことをおさえる学習です。
「チーム競技が」が主語です。
つまり、これ以外の答えはないことを知らせます。

主語・述語の言葉は小学校二年生の教科書に既に登場しています。

「なぜ厄介なのか」は、なじんでいない仲間とやるからです。
これは修飾語(修飾部)を見ればわかります。

 

主部として考えると「まだなじんでいない仲間とのチーム競技は」となります。
「まだなじんでいない仲間との」は、「チーム競技」の条件づけです。
主部で答えが出たら、「なぜ厄介なのか」はスルーします。

ここからが思考・判断・表現力の学習です。

 

なぜそう言えるのか

これは、既有の知識・経験から類推し、判断した結果を表現する学習となります。

なじむ(馴染む)とは「なれてしっくりする」ということです。

ここまでの学習を生かし、
  • まだなじんでいない仲間とのチーム競技は、なかなか厄介だ。
を言葉を補い表現させます。
  • まだ慣れていない仲間とのチーム競技は、チームプレーがうまくできないから、なかなか手間がかかって面倒だ。

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今日はなんとかなるかもしれない。

  • 「なんとかなる」と言っているが、明生は面倒なことを承知で何をどうしようと考えているのか。五十字以内で書きなさい。
これを考えさせ、書かせ、発表させる活動です。
  • 自分はバスケットが得意なので、バスケットで活躍することにより仲間となじむことができるかもしれない。

 

で、うまくいったのか、わかるところに傍線をひかせます。
  1. ところが、山崎君の手に当たって、ボールはぽとりと落ちた。
  2. 今日もわずかなとっかかりするりと抜け落ちていった

 

第1文は、事実を示していることに気づかせ、気持ちが表れている第2文に注目を集めます。
  • 「わずかなとっかかり」は、何のとっかかり(きっかけ)か
  • 「するりと抜け落ちていった」は何を何に例えた比喩か
これがわかるように、第2文を五十字以内で書き直させます。
  • 今日も、小さなクラスの仲間になじむきっかけは、ボールが抜け落ちていくように、するりと消えてしまった

 

本時のポイントは、生徒が「わかっている」と考えていることを、しっかり表現させることです。
これに時間をかけた方が良いと思います。

 

文章を書き慣れたクラスなら、これで授業の2/3でできると思います。
ゆっくり展開すると一時間かかるかもしれません。

時間があれば「抜け落ちていった」と「抜け落ちた」の表現の違いを説明させても良いと思います。

 

もし早く終わってしまったら、次の時間の主眼
なぜ明生君と川口君は友だちになれそうに感じとれるのだろう
を示し、説明の方法を考えさせても良いと思います。

 

花曇りの向こう 2……二時間目 辞書的解釈を文脈におとしこむ

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二時間目 なぜクラスの友だちとうまくいかないのか

 

第2大段落を読んで「具体的に明生君は、学校生活の悩みはどのようなものか」と問います。

 

いろいろな言い方で返ってくると思いますが、大切なことは、それはどこに書いてあるのか、どこからわかるのかを説明させることです。

明生君の実態は、次のように書かれています。
  • 友だちといえるものはできていない。
  • なかなかうまくいかない。
この原因は、
  • (話しかけられても)うまくつながらない。
  • それで会話は終了。
  • 空気を持て余して
  • 思いつくのは後になってからだ。
とあります。
大阪ルール11

会話がうまくつながらず、「あのときああすりゃよかった」と後悔ばかりしているのです。

この時間の前半のポイントは、
  • 空気を持て余す
  • 晴れることを放棄したような空
  • 生ぬるい息をはいた
の意味をしっかりとおさえることを通し、叙述に基づいて正確に読むクセをつけていくことです。

この叙述が明生君の心情を表現しているということは理解できると思いますが、「なんとなくわかるが、説明できない」生徒がほとんどです。

思考力・判断力・表現力を考えた場合、言葉で説明できないとわかったことにはならないのです。

そこでまず、一人一人意味を考えさせ、書かせ、発表させます。

当然辞書を使ってもいいですが、「空気を持て余す」も「生ぬるい息」も辞書には載っていません。

「空気」「持て余す」「生ぬるい」等の辞書的な意味を、「文脈の中における語句の意味」として的確にとらえなおし、理解することをさせなくてはいけません。

 

当然正解はありませんが、かと言ってどう定義づけてもいいわけではありません。発表後の話し合いの中で、生徒が納得できる解釈を探っていきます。

 

そのためにまず、最初ですから買ったばかりの辞書をひかせる、というのもありますが、いちいちひかせると時間がかかります。

大切なのは、辞書に載っている語釈を知ることではありません。
それをどのように本文に落とし込み、文脈として適切な解釈を導き出させることが大切です。

私の場合、例えば
  1. あまり冷たくもなく、熱くもない。少しあたたかい感じがする。「-・い水」
  2. はっきりしない。どっちつかずだ。あいまいだ。「-・い態度をとる」
  3. 処置や方法が手ぬるい。厳しさが足りない。「取り締まりが-・い」
といった辞書に載っている語釈をコピーし、文脈に即したものを選ばせ、言い換えをさせています。
単に辞書を引かせるのより、ずっと「思考力・判断力・表現力」を培うのに役立ちます。

 

空気を持て余す
空気とは「その場の雰囲気」。
持て余すとは「取り扱い方や処置に困ること」。
従って「空気を持て余す」は、会話が「うまくつながらない」(コミュニケーションが円滑にできない)ため、話題の展開ができずその場の雰囲気が気まずくなり、どうしたらよいか困っている状態のこと。

 

晴れることを放棄したようなぼやけた空
「晴れ」は、天気が良いことの他に「晴れの席に臨む」や「晴れて潔白が証明される」などのような使い方がある。
この場合は「晴れて自由の身になる」の「晴れる」で、他の人に遠慮しなければならない状態から解放されるという意味。
「放棄」は捨て去ることです。
従って「晴れることを放棄する」は、他の人に遠慮しなければならない状態から抜け出すことをやめてしまう、という意味になる。
この明生君の気持ちを、花曇りの空に例えている擬人法

 

生ぬるい息をはく
「生ぬるい」には、温度が高くもなく低くもない状態のことや、「生ぬるい措置」などの、手ぬるいという意味がある。
しかしここでは、「はっきりしない、どっちつかずだ、あいまいだ」という意味。
「ため息」は、ストレスを感じた時などに大きく息を吐く行為。
明生君は、クラスメイトに遠慮しなければならない状態をどうにかしたいと思いながらも、どうしたらいいかわからずに、それをストレスと感じて大きく息を吐いたのである。

 

ではなぜコミュニケーションがうまくとれないのでしょう。

 

まず生徒に考えさせますが、なかなかわからないと思います。
そこで私は、吉本新喜劇的なパフォーマンスをすることにしています。

 

まず「クラスの人たちは、わざと無視しようとしていますか。これはいじめですか。いじめでないなら、それはどこからわかりますか。」と問います。

そして
  • 川口君は毎朝、先生が来るまでの間話しかけてくる
という叙述に気づかせます。

少なくとも川口君は、明生君とコミュニケーションをとろうと努力しているのです。

 

「では、実際教室で何が起こっているのか、具体的にやってみましょう。先生が明生君になります。みなさんは川口君です。」と言って教室を一旦出ます。

そして、ガラガラと扉を空け、陰気に「おはよ……」と共通語でつぶやきます。
すると生徒は、まばらに「おはよ……」と応えます。

次にもう一度教室を出て、同じように扉を開け「おはようさん」と上方語で挨拶します。
すると生徒は少しびっくりして「おはようさん」と応えるでしょう。

三度目は、元気よく「おはようさん、もうかりまっか」と呼びかけます。
ノリのいい生徒なら「ぼちぼちでんがな」と応えるでしょう。

そこで、そのノリのいい生徒を川口君役に指名し、挨拶から川口君のセリフまでコントをし、明生の答えまで言わせます。
  • 明生「おはようさん。もうかりまっか」
  • 川口「ぼちぼちでんがな。今日も曇りやな。~」
  • 明生(例)「それがどないしてん。」
  • 川口(例)「桜の季節も終わりやなって思ってん。」
  • 明生(例)「今度天気よかったら花見にでも行こかぁ?」
うまくできるとは限りませんが、テキストから離れてもいいですから、方言によるコントを数回繰り返します。
その上で、明生君の「おはよ」で始まる会話と、今の会話はどこが違うのかを問えば、方言と共通語の違いに気づくと思います。

「おそらく関東地方から関西にやってきた転入生が、方言の違いにより上手くコミュニケーションをとれない状態だったんだね」と押さえます。
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©『僕の妹は「大阪おかん」』制作委員会
原因は言葉の問題だけではなく、主人公の積極性とか、思春期特有の自意識とかの問題もあるかも知れません。
しかし国語科の授業として、あくまで言葉にこだわりたいと思います。

花曇りの向こう 1……一時間目 読解の方向をつかむ

中学生になって、はじめての文学的文章の読解です。
4時間扱いで、
  • ア 文脈の中における語句の意味を的確にとらえ、理解すること。
  • ウ 場面の展開や登場人物などの描写に注意して読み、内容の理解に役立てること。
  • エ 文章の構成や展開、表現の特徴について、自分の考えをもつこと。
を指導することになっています。

 

この単元では、三年間の学習を見通し、文学的文章読解の手法を身につけさせることを主眼とします。

 

一時間目 いつ・どこ・だれの話か
  • 文学的文章で書かれる世界は、作者が創造した世界です。どんなに現実の世界と似ていても、決して現実世界ではありません。造物主である作者に創り出された世界なのです。
と告げ、ばあちゃんとの会話の場面のみを範読し、ここから
  • いつ(時間的な設定)
  • どこ(空間的な設定)
  • だれ(登場人物の設定)
の話か、わかる所に傍線を引かせます。
ダウンロード
この時、僕とばあちゃんの台詞はできるだけリアルに読んでやります。

 

答えを発表させますが、
  • その答えはどこからわかるか
  • なぜそう言えるのか
をしっかり言わせます。
これが新指導要領で求められる「思考力・判断力・表現力等」です。

 

まだ中学校になれていない生徒たちですから、簡単にわかる「だれ」から答えさせるとよいでしょう。

 

だれ……明夫(僕)

この時「だれの話か」と強調して問いかけます。

「だれが登場しているでしょう」と問うと「ばあちゃん」と答える生徒もいるでしょう。
この時は「そうですね、ばあちゃんも登場していますね。でもこれはばあちゃんの話かな?」と考えさせます。

「だれの話か」というのは、主人公は誰かを考えさせたい問いなのです。

最初の場面で主人公は「明生」と言っています。
地の文では「僕」となっていますから、一人称小説です。
一人称小説とは
  • 登場人物の目を通して書かれている小説
であることを教え、「この物語の場合、主人公の目を通して書かれているので、主人公の気持ちの移り変わりがわかるようになっている」と教えます。

更に性別、年齢、経歴等を答えさせます。
  • 男、12歳
  • 小学校で二回、それに今回。通算三回の転校を経験している。
ここで、なぜそんなにたくさん転校したのかを問いかけ、「転勤が多い」「父さんの仕事の都合」という叙述を引き出します。

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主人公は転校生
いつ……四月の朝

「朝食」とあるので「朝」はすぐ答えられると思います。
  • 「いつ」というのは、一日の中のいつかの他に、一年のなかのいつか、いつの時代かというのがある。一年のうちのいつだろう。それはどこからわかるだろう。
と問います。
「春」や「四月」という答えはわかりますが、「小学校卒業と同時に~」や「中学入学~」等の叙述からそれがわかると、はっきり言わせることがポイントです。

題名の「花曇り」から答える生徒もいると思います。
「よく気がついたね」とほめ、「花曇りって、いつ頃のこと?」と問い返します。
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花曇りとは、桜の咲く季節の、うっすらと雲がかかるような天気のことです。
歳時記では晩春の季語ですが、これは1~3月を春とした場合ですので、四月上旬のことであることを示しています。

 

どこ……関西地方にあるばあちゃんの家

「ばあちゃんの家」はすぐ出てきます。
ポイントは舞台はどこかです。

これはばあちゃんの「なんや」「~や」等の言葉遣いからわかります。
一方主人公の「~だ」「~だろ」等は共通語です。

方言と共通語については二年生の教科書に載っていますが、資料として配布し「方言は身近な人間関係を築くのに効果的」であることを説明します。

これは、主人公がなぜ周囲とコミュニケーションがとれず疎外感を味わっているのかを理解する伏線となります。

 

最後に
主人公の明生は、なぜ「胃が痛い」のかを問います。

なかなか新しい学校になじめないから、等の答えはすぐ返ってくると思います。
それがどこからわかるかを答えさせるのがポイントです。
  • だいたいみんな小学校からの仲間なんだ。簡単にいくわけないだろ。
この叙述を引き出し、「気が合う仲間とも、あっさりさよならだ」と関連付けて答えさせることが思考・判断・表現の基礎だと思います。
気が重いのは、何が「簡単」にいかないからなのか、その原因は何なのかは、次の時間に解決することを告げて時間を終了します。
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野原はうたう 4……いのち

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4時間目 いのち  けやき だいさく

欅

いつ・どこ・だれをやりながら、どのような情景か答えさせます。

ケヤキの木に、小鳥がたくさん止まっている情景です。

小鳥の数は一匹や二匹ではありません。
「ふところに だいて/とても あたたかい」くらいの数です。
ぎっしりとケヤキの木に止まっているのでしょう。
こんなに小鳥が木に集まって止まるのは、冬の夜です。
ケヤキは落葉樹ですから、葉がすっかり落ちたケヤキの木に、夜、ぎっしりと小鳥が集まって休んでいるのです。
たくさんの小鳥たちが羽を休めることができるのですから、きっと大きなケヤキの木に違いありません。

 

「私の心臓は/たくさんの小鳥たちである」というのはもちろん比喩です。
  • 太郎君(A)は太陽(B)のような少年だ。
といった場合、太郎君の「明るさ」や「情熱」等を太陽のそれに例えています。
  • 太郎君(A)=明るい・情熱的=太陽(B)
となります。
大切なことは、(A)のどのような属性が(B)の属性に例えられているか、
(A)=(X)=(B)の(X)の部分をきちんと言葉で書かせて発表させることです。

この詩の場合はどうでしょう。
  • 心臓(A)=たくさんの小鳥たち(B)
(A)は「都市の心臓部」と言うように、ものごとの中心の比喩ですが、この場合、ないと死んでしまう「命のもと」と解釈してよいかと思います。
言い方は、生徒の発言に任せましょう。
  • 心臓(A)=命のもと(X)=たくさんの小鳥たち(B)
冬、葉を散らして、まるで骨だけになったようなケヤキの木の「命のもと」がたくさんの小鳥たちだ、といっているのです。

 

「ふところに だいて~あたたかいのである」から、ぎっしり集まっている小鳥たちを、ケヤキはとても暖かく感じていることがわかります。

 

問題は「だから~いきていくのである/だから~いきていて よいのである」の部分で、これは反復法です。
しかし、繰り返すことによって強調しているだけではありません。
微妙に意味をずらしていることに気づかせます。

小鳥たちが「心臓」のようなものなら
  • (小鳥たちが集まってくるので)生きていくことができるのである
となります。
なぜ「(小鳥たちがたくさん集まってくる。)だから、私は生きていくのだ。生きていてよいのだ。」というのでしょう。

これを考えさせ、書かせ、発表させるのがポイントです。

 

小鳥たちにとって、ケヤキの木は、寒い冬を越すための大切なねぐらです。
大きなケヤキの木のおかげで小鳥たちも冬越しができるのです。

ケヤキはそのことを知っています。
小鳥たちの暖かさを自分の命と感ずるとともに、小鳥たちを守っていこうという気持ちが「いきていくのである」という言葉に集約されます。
そして、小鳥たちを守ることに誇りをもっていることが「いきていて よいのである」という言葉に表れています。

このことを更にケヤキの気持ち」として端的にまとめさせます

  • 小鳥たちを守り、共に生きることを喜び、そのことに生きがいを感じている
というのが、主人公のケヤキの気持ちだと思います。

 

作品の季節と時間帯

作品から、はっきり分かっている季節と時間帯は、次の通りです。

 

  あしたこそ   春     日中

 

  おれはかまきり 夏     正午頃

 

  あきのひ    秋     夕方

 

  いのち     晩秋~冬  夜

 

 きれいに順序よく並んでいます。光村図書の意図を感じさせます。
とすると「いのち」は冬、「あしたこそ」は午前中(春の朝は朝露がある可能性が高いので、綿毛は飛びません。)と解釈するのが適当かも知れません。

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