今の世の中 右も左も 真っ暗闇じゃござんせんか
私たちが日々の暮らしの中で出合う、さまざまな疑問や困りごと、
「おかしいな」「納得できない」「なぜだろう」と思うできごと。
記者に伝えることで、ヒントや答えが得られるかもしれません。
あなたが寄せてくれた情報を出発点に記者が取材し、記事にします。
一人一人の声と記者がつながることで、地域や社会を変える力が生まれます。
「筆算の線、手書きなぜダメ? 小5が160問「書き直し」命じられる 指導の背景は」(西日本新聞)をはじめ、
「重過ぎる通学かばん12キロ 中学生『つらい』ロッカー狭く置き勉困難」(河北新報)、
「『ブラック校則』私もNO 果敢に見直し挑んだ女子高校生」(神戸新聞)等々、
ここのところ、市民のみなさんの声が新聞に取り上げられる世の中でござんす。
「重過ぎる通学かばん12キロ 中学生『つらい』ロッカー狭く置き勉困難」(河北新報)、
「『ブラック校則』私もNO 果敢に見直し挑んだ女子高校生」(神戸新聞)等々、
ここのところ、市民のみなさんの声が新聞に取り上げられる世の中でござんす。
昔は担任の先生に何か言いたいことがあるときは、直接言いに来たもんでござんす。
言いにこれねぇときゃぁ、連絡帳で「お恐れながら…」と。
言いにこれねぇときゃぁ、連絡帳で「お恐れながら…」と。
しかし今じゃ、校長先生を飛び越して直接教育委員会へ……。
いえ、直接世間様へ訴えるほうが手っ取り早いってぇ時代なんでしょうかねぇ。
そういやぁ流行語大賞になった「保育所落ちた日本死ね」もツイッターがもとでござんしたね。
LINE、専用フォーム、Fax、郵便と、
いろんな方法で市民のみなさんの声を集めて面白おかしく記事にするのが新聞社さんの渡世でござんす。
新聞社さんが市民のみなさんの声を集めるってぇのをどうこうしようってぇんじゃぁありません。
しかしケータイやネットを使ってってぇ方法はどうなんでございましょうねぇ。
昔は筆をなめなめ、考え考え巻紙に文章を書いたもんでござんした。
そういっちゃぁ失礼ですが、
メールなんかは思いついたことをそのまんま垂れ流しちまうこともあるんじゃぁねぇんでしょうか。
私たち教職員も「バッシング」を受ける身。
世間様からお叱りを受けることは覚悟でござんす。
「学校に言ってもラチがあかねぇ」ってぇ対応をしてるってぇところもあるかも知れません。
ツイッターなんかにゃぁ、もっとひでぇことが書いてあります。
一端火が付きゃぁ、どうなるか……。
そんな世の中、手前(てめぇ)で手前を守るなんてこたぁできません。
くだんの筆算だって、どうやらせるのか、どう評価するのか、教科で相談して勝手なマネをしねぇ。
何かあったらホウレンソウ。
組織としてのスジを通しておきゃぁ、責任を負うのは組織です。
みんなで対応してくれるじゃぁねぇんでしょうか。
くだんの筆算だって、どうやらせるのか、どう評価するのか、教科で相談して勝手なマネをしねぇ。
何かあったらホウレンソウ。
組織としてのスジを通しておきゃぁ、責任を負うのは組織です。
みんなで対応してくれるじゃぁねぇんでしょうか。
情報の持ち出しだって、非違行為だって、自分を守る代償と思やぁ、簡単なことでさぁ。
ハードルが高けぇからこそ、しっかり守っていりゃぁ
「お前ぇ一人に罪は負わせねぇ」って、みんなから守ってもらえるんじゃねぇんでしょうかねぇ。
- なんだかんだとお説教じみたことを申して参りましたが、そういう私も日陰育ちのひねくれ者、お天道様に背中を向けて歩く、馬鹿な人間でございます。(『傷だらけの人生』既出)