鏡よ 鏡……
「鏡よ鏡…一番美しいのは誰?」
「この部屋の中で一番美しいのは女王様。しかし世界で一番美しいのは……」
「この部屋の中で一番美しいのは女王様。しかし世界で一番美しいのは……」
「…鏡よ、鏡。一番まともな授業をするのは誰?」
「…この教室で一番まともな授業をするのはあなた…」
「…この教室で一番まともな授業をするのはあなた…」
生徒にとって、授業の世界は教室の中に限られています。
生徒にとって、この小さな世界の中で先生といえる存在は私たちしかいません。
「この部屋の中で」最もまともな授業をしているのは私たちしかいないのです。
では、まともな授業って、どんな授業でしょう。
あたりまえのことですが、授業は、テストの点数をあげるために行うものではありません。
(これをまじでやるのは学習塾です。学校では、まともな授業をしても、テストの点が上がるとは限りません。)
ましてや教科書や赤本、ひどい場合は問題集の答えの内容を生徒に効果的に伝達することではありません。(でも、きちんとこれをこなすのもけっこう難しいのですよ。)
学校も塾も、授業とは1時間で一定の目標を生徒に達成させるための行為であることに違いはありません。
しかし学校の授業は、毎時間の目標のおおもとに学習指導要領があることを忘れてはいけません。
私たちは
しかし学校の授業は、毎時間の目標のおおもとに学習指導要領があることを忘れてはいけません。
私たちは
- この時間内にどんな力を身につけさせたいのか(本時のねらい)
- そのためにどんな手段を用いるのか(本時の手立て)
をことばとして表現できていなくてはいけないと思います。
なぜことばにできないといけないかというと、私たちは「わかっている(認識している)」ことを、行動・発話などの出力行為によってのみしか客観的に確認できないからです。
ことばにすることができなければ、自分自身、この1時間に何をしようとしているかわかっているとは言えない…わかっていない、ということになるのです。
ことばにすることができなければ、自分自身、この1時間に何をしようとしているかわかっているとは言えない…わかっていない、ということになるのです。
これって、指導案の本時案じゃん……その通りです。
しかし、実際に毎時間指導案を書いてみるのは大変なことです。
手っ取り早く、まっとうな本時案が書けるようになる方法は……毎時間書くのは無理でも、1週間か一ヶ月に一度くらいは1時間の授業に焦点をあててきちんと書く練習をすることです。
しかし、実際に毎時間指導案を書いてみるのは大変なことです。
手っ取り早く、まっとうな本時案が書けるようになる方法は……毎時間書くのは無理でも、1週間か一ヶ月に一度くらいは1時間の授業に焦点をあててきちんと書く練習をすることです。
しかしそこまでしなくても、板書計画を授業ごとに書いてみるのはどうでしょう。
どんな力を身につけさせたいのかをしっかり持って、そのためにどんな方法で授業を行うのか、どんな指示・発問をするのか、……五教科の授業は、板書にこれらが集約されていると思います。
そして、授業の終わりには、つけたい力がきちんとついたかどうか、検証することも忘れずに……。
最初は思い通りに板書計画が書けなかったり、板書計画通りに授業が進まなかったりすることがあるでしょう。そうしたら、次の授業に生かせばよいのです。
くれぐれも、「この教室の中では自分が最も美しい…」と自己満足することがないように。
ウィックドクイーンのように、自分以上に授業がうまい人を毒殺しようとするのはやめましょう。
ウィックドクイーンのように、自分以上に授業がうまい人を毒殺しようとするのはやめましょう。