教室は たとえていえば 地雷原 2
ウルトラマンはM78星雲「光の国」からやってきた、人類に救いの手を差し伸べる超越者でした。
この設定は十万億土の彼方から衆生を救うためにやってきた仏の概念と非常に似ています。
この設定は十万億土の彼方から衆生を救うためにやってきた仏の概念と非常に似ています。
ウルトラマンは仏
かつて、先生はスクールカーストの枠外に位置する超越者でした。だから学級の個性は担任で決まるとまで言われていました。
まだそのような学級はあることはありますが、だんだん減っているようです。
そのうち、レッドデータに登録されるようになるかもしれません。
まだそのような学級はあることはありますが、だんだん減っているようです。
そのうち、レッドデータに登録されるようになるかもしれません。
先生の権威が低下するにつれ、スクールカーストの最上位グループによって学級の雰囲気が決まってくることが多くなってきました。
確かに私たちは、クラス編制にあたってリーダー性等の名目でスクールカースト上位の者が均等になるようにコントロールしています。
そしてリーダーを育て、クラスを彼らに任せようとしています。
彼らは、ほとんどの場合カースト上位の生徒です。
カースト上位生が発揮するリーダーシップは、あくまでもコミュニケーション能力であり、善悪や正邪とは関係ありません。
リーダーの意見が、善悪や正邪に関係なく、クラスの意見になってしまうことが問題なのです。
リーダーをしっかりコントロールしているのなら問題ありませんが、クラスをカースト上位生に丸投げした結果、カースト上位生の意見を無視できない教師の姿をさらすことが問題なのです。
そしてリーダーを育て、クラスを彼らに任せようとしています。
彼らは、ほとんどの場合カースト上位の生徒です。
カースト上位生が発揮するリーダーシップは、あくまでもコミュニケーション能力であり、善悪や正邪とは関係ありません。
リーダーの意見が、善悪や正邪に関係なく、クラスの意見になってしまうことが問題なのです。
リーダーをしっかりコントロールしているのなら問題ありませんが、クラスをカースト上位生に丸投げした結果、カースト上位生の意見を無視できない教師の姿をさらすことが問題なのです。
カースト上位の生徒たちに強い態度を見せられない教師の姿だけは、見せてはいけません。
私たちは、上位の生徒たちの機嫌を損ねることでクラス全体に嫌われてしまうことを恐れてはダメなのです。
なぜなら、リーダーの顔色をうかがわなくてはいけない教師とは、生徒たちの目から見れば、カースト上位者の取り巻きの一人にカウントされてしまうからです。
私たちは、上位の生徒たちの機嫌を損ねることでクラス全体に嫌われてしまうことを恐れてはダメなのです。
なぜなら、リーダーの顔色をうかがわなくてはいけない教師とは、生徒たちの目から見れば、カースト上位者の取り巻きの一人にカウントされてしまうからです。
上位の生徒との関係を良好に保てないないと教師としての立場を守っていけないのは教師失格だと思います。
しかし、「正義の味方」ウルトラマンや「自由の守護者」仮面ライダーといった、カーストの枠外にある存在でなければいけないのです。
ヴィシュヌ
私たちは、確かに神や仏、ヴィシュヌやシヴァ、ブラフマーのような超越者ではありません。しかし、「正義の味方」ウルトラマンや「自由の守護者」仮面ライダーといった、カーストの枠外にある存在でなければいけないのです。
ですから、どんなにリーダーが優秀であったとしても、座席決めや班決め、クラスでやることなど、リーダーグループに詳細を委ねることはあっても決定権だけは手放してはいけません。