教室は たとえていえば 地雷原 1
教室は たとえていえば 地雷原
これは、ある中学生が詠んだ川柳です。
アメリカなどは日本より顕著で、ハリウッドの青春映画等には、アメフト部のキャプテンやチアリーダーの女の子を頂点とした階層社会が描かれています。
他にもアメリカ映画では、白人だったら主人公とか、金髪でプロポーションがよい子はモテるとか、黒人だったら力が強く真面目とか、中国系だったら~とか、
人種差別が当たり前だったアメリカ社会では、日常的に「あるある」のものなのだと思います。
日本でも似たような現象が起こっています。
例えば『野ブタ。をプロディュース』(原作:白岩玄 テレビドラマにもなりました)や『仮面ライダーフォーゼ』(主人公が通う天ノ川学園高校で、主人公を取り巻く登場人物がジョックやクイーンを頂点とするスクールカーストとなっています)、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』(原作:渡航 ラノベでアニメ化もされました)など、「スクールカースト物」というジャンルがライトノベルやマンガにありますからご存じの方も多いでしょう。
©渡航/やはりこお制作委員会はまちがっている。
かつて教室は、『ドラえもん』のジャイアンや出来杉君のような、運動能力や学業成績といった物差しで階層化されていました。しかし現在は、運動能力や学業成績があっても「脳筋」とか「ガリ勉」と言われ、ジャイアンや出来杉君は必ずしも上位階層になる条件を持っているとは言えません。
上の図を見ればわかるように、スクールカーストはコミュニケーション能力によって階層が分かれていると言われます。
情報を発信する(質はともかく)量と、周囲にその情報がどれだけ受けいれられるかが判定基準です。
善悪や美醜に関係なく、発信する情報量が多ければ多いほど、またそれを受け入れる者が多ければ多いほど、カーストが上位にランキングされるというのです。
そして、このスクールカーストが、学級内にさまざまな問題を起こしているような気がしてなりません。