十種神宝 中学国語の基礎・基本

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違いに気をつけましょう……学び合いには二種類あります 西川純と佐藤学

 ここ数年、私たちの周囲で「学び合い」という言葉が聞かれるようになりました。
 これは、「アクティブラーニング」との関係でクローズアップされてきたもののように感じます。

 「学び合い」というと、感覚的に耳に心地よい響きをもったものです。
 しかし、いわゆるガチでそれをやろうとするのは、とてもハードなことです。
  
 その前に、「学び合い」という言葉を用いる流派(?)は、現在二つあります。
 (もっとたくさんあるかもしれませんが、主なものは二つだと思います。)

 この二つは、名前こそ同じですが、言っている内容はまったく違うものです。
 ですから「学び合い」という言葉を使った人が、どんな考えで使ったのかを見極めないと、落語の「こんちゃく問答」と同じように、すれ違いの会話となりますから注意しましょう。

西川純の『学び合い』
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 上越教育大学教授の西川純が提唱したアクティブラーニングの授業法です。

 今から10年ほど前から広まっています。

 ただの「学び合い」ではなく、わざわざ『』(二重カギ括弧)で括っての『学び合い』と表記するところが、佐藤学との差別化を図ろうとする意図が感じられます。(感想には個人差があります。)

『学び合い』授業の流れ(例)
あらかじめ黒板に提示するもの
  • 全員が達成すべき本時の課題(生徒でも達成できたかどうか評価できるよう、基準を明確に)
  • 黒板の「未達成」欄に全員のネームプレートを貼る
  • 『学び合い』の終了時刻を明記
  •  残り時間を表示した大型タイマー(なければキッチンタイマーでも可)
  • その日扱う問題の解答、教師用指導書、参考書、タブレットなど学習の助けになるものを教卓に置いておき、生徒が自由に使えるようにする
  指示(5分)
  • なぜ『学び合い』をするのか、生徒にどうなって欲しいのかを語る。
  • 自分ができたら終りではない。全員の課題達成がみんなに求められている
  • 教えるときが一番勉強になる。自分の理解力を深めるためにも、どんどんクラスメイトに教えよう
  • スマホタブレット、何を使ってもいい、誰に聞いてもいい。
  • 達成した人から達成欄にネームプレートを移す。
  • 終了時間は必ず守る。
  学び合い(40分)
  • 机間巡視をしながら、良い動きをしている子を全員に「可視化」する
  • 「全員達成に結びつくことをやっているか」を問いかけながら回る
  • あくまで全員達成が目的。学び合わせることが目的になってしまわないように。
  振り返り(5分)
  • 何人が課題を達成できていないか
  • 本時の学び方はどうだったか
  • 次回以降どのようにすれば全員達成に近づけるか
  • (本時の学習内容を振り返るというよりも、本時の学び方を振り返る)
                                (出典「『学び合い』wiki」)
佐藤学の「学び合い」
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 東京大学大学院名誉教授の佐藤学が提唱した「学びの共同体」で用いられている言葉です。
 今から15年ほど前から広まっています。

 現在は西川氏の『学び合い』がテレビ番組等で取り上げられ有名になったためでしょうか、「学び合い」という言葉をあまり使わなくなったように感じます。(感想には個人差があります。)

「学びの共同体」の特徴
コの字型の座席配置
  • 全体で確認をしたり、発表をする場合には「コの字」。
男女混成の4人組によるグループ学習
  • 協同的な学びを行う際には4人組のグループ学習となります。授業の展開によっては最初から最後まで4人組で授業を行う場合もあります。このグループ学習をメインに授業を行うのが特徴です。
  ポイント
 
 西川氏の『学び合い』とは異なり、佐藤氏の「学び合い」では教えあうことも、全員達成することも求められません。「自分がわからない時だけ助けを求める」ことが重視されます。
 ですから、一見ただのグループ学習のようですが、グループで教え合ったり話し合ったりして問題を解決することは否定されます。

 この佐藤学の「学び合い」のポイントは学習課題の難易度にあると個人的に思っています。「学びの共同体」では通常の授業で2種類の課題に取り組みます。一つ目が「共有の課題」。もう一つが「ジャンプの課題」です。

 「共有の課題」は教科書レベルの問題です。教科書レベルの問題ですからほとんどの子が教科書などを参考に解くことができます。ここでも分からない子がグループの子に聞く場面はありますが、「学びの共同体」をスタートした直後は静かに一人で取り組む時間になります。

 そして、その後に用意するのが「ジャンプの課題」です。これは教科書レベルを超えた、高難度の問題です。私は中一の生徒に入試の問題を解かせる授業を見たことがあります。当然、ほとんどの子はすぐには解けません。しかし逆に学習意欲が高まり、「共有の課題」ができなかったような子まで必死に問題を解こうとするようになる、というのです。
 そして静かだった教室に少しずつささやき声が聞こえるようになります。「ここはこうかな?」「う~ん、ここまではできたんだけど…」

 この「ジャンプの課題」を適切な難易度で提示したときに聞こえるグループ間の声は、決して賑やかで活発なものにはなりません。
 すぐに解ける問題だった場合は分かる子が答えを教えて終わってしまいます。
 このときは賑やかに活発に話し合いが行われますが、そこに深い学びは生まれません。
 逆に難易度が高すぎると脱落者が出てきて声が聞こえなくなってしまい、そこにも学びは生まれないのです。

 適切な課題を与えたときに起こる、ブツブツとささやくようにお互いに言葉を交わす中に「学び合い」があり、「真性の学び」の姿があるという考え方です。
            (参考文献『学校を改革する――学びの共同体の構想と実践』岩波ブックレット)
  
   昭和60年頃、跳び箱指導法をきっかけに「教育技術法則化運動」(現TOSS)というのが大流行しました。
 この二つの学び合いも一過性の流行であるとは言いませんが、「法則化運動」が廃れた理由の一つに、“不易”の部分が弱かったことが挙げられるのではないかと個人的に思っています。

 それぞれの「学び合い」は何を主張しているのか、“不易”の部分を見極めていただきたいと思います。
 都合の良いキーワードだけつなげて自己流に解釈し授業を行うのは危険です。

 生兵法は大けがのもとですよ……。