教職を去るその日まで その6……ナイフに罪はありません
ある授業のことです。
先生が「5分間話し合いをしましょう」と言って、スマホをテレビにつなぎ、タイマーを映しました。
そして話し合いの時間が終わり、スマホからの写真や図表をテレビに写しながらまとめをしていました。
先生が「5分間話し合いをしましょう」と言って、スマホをテレビにつなぎ、タイマーを映しました。
そして話し合いの時間が終わり、スマホからの写真や図表をテレビに写しながらまとめをしていました。
私は時間を計るときは、なるべく注意を向けてもらえるようにと、エヴァンゲリオンとかウルトラマン仕様のキッチンタイマーを使っていました。
また教材提示の時はテレビに実物投影機やビデオカメラを赤・白・黄色の三本のコードでつないだり、パソコンを太い特別なケーブルでつないだりして使っていました。
しかし接続の準備が面倒くさく、「やれば効果がある」をわかっていても、あまりやりたくはありませんでした。
今はHDMI端子というものがあります。
パソコンとテレビとをつなぐ端子で、スマホやタブレットのUSBポートにHDMI変換端子をつなぐだけでOK。2000円もしないで手に入ります。
スマホのタイマーやストップウォッチをそのままテレビに映したり、ネットからダウンロードした画像を子どもに提示したり、パワーポイントなどのプレゼンソフトだって動かすことができます。
その先生もHDMI端子を使っていたのですね。
(ここまでできるのに、なぜ今更ICT教育?ICTじゃなきゃできない授業って……。コストに見合った効果を期待されても困るんですけど……。)
そう言えば、教材提示すると言って誤って子どもに見せちゃいけない画像を出してしまったという不祥事もありました。
自分のスマホを使って、ついうっかり……というやつでしょう。
買春をしたり盗撮をしたりするのにとどまらず、SNSに「好きだ」「会いたい」などと書き込んだり誹謗中傷を書き込んだりして処分される、スマホがらみの教職員の不祥事が相次いでいます。
そのため教職員の使用スマホを職員室から持ち出すことを禁止する教育委員会が出てきているのが現状です。
今から40年前、黒板と教科書とプリントで授業をしていた時代からすれば夢のようなことです。
その頃は子どもに生徒に一枚の写真を見せたいと思っても、その写真を手に入れることも、その写真を子ども達に見せることも難しかったものでした。
私たちは昔、石を砕いてナイフを作り、それを磨くことを覚え、石は青銅に、鉄に、合金にと進化してきました。
その中でナイフは、さまざまな用途に使える便利な道具に変化しました。
教育現場も同じですね。
変化したのは機器ばかりではありません。
単元主義から能力主義へ、「ゆとりと充実」から「生きる力」へと教育思潮も変化し、それに伴って教育技術も星の数ほどのはやり廃りがありました。
これが「不易と流行」の「流行」の部分だと思います。
ナイフで人を刺殺することもできますが、それはナイフのせいではありません。
道具の進化は世の中に変化を引き起こし、世の中の変化にともなって思想や技術も変化し続けることは歴史が証明しています。
しかし道具や技術を使うのは私たちであり、使用した結果の責任は、私たちが負わなくてはいけないのです。
ナイフに罪はありません。
若いみなさんが定年退職する半世紀後(←40年後ではないと思いますよ。)どのような教育思潮があって、みなさんはどのような授業をしているでしょう。
40年前、ワープロの普及を想像することができなかったあの先生と同じように、私にはみなさんの授業がどうなっているか想像することもできません。
しかし「ワープロに心はない」と言った先生には、教育には心を込めなくてはいけないという信念があったのでしょう。
この信念こそが彼なりの「不易」の部分だったのだと思います。
みなさんはこれから「流行」にのりながらも、自分なりの「不易」を探し続けて欲しいと思います。
そしてそのためにも、自分の身は自分で守り、不祥事を起こさず巻き込まれずに円満退職することを草葉の陰からお祈りしています。